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〔113系・115系直流近郊形電車関連の解説〕
113系電車
113系電車とは、1963年に日本国有鉄道(国鉄)が開発した直流近郊形電車。
1962年(昭和37年)に先行開発された上記の111系をもとに、
120kWに出力が強化され新たに標準化されたMT54形主電動機を用いた形式。
これにともない主制御器、主抵抗器なども容量が増大された。
1963年から1982年にかけて約2,900両もの多数の車両が製造され、
おもに本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられた。
関連系列として、寒冷・急勾配路線用に並行製造された115系があるが、
これと比較して、平坦線用のため抑速ブレーキやノッチ戻し制御は装備しない。
JR移行に際しては、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)
西日本旅客鉄道(JR西日本)の3社に引き継がれ、
主に東海道本線や山陽本線系統など平坦路線の普通・快速列車に運用されたが、
後継形式への置き換えによってJR東日本では2011年、
JR東海では2007年に運用を終了した。
2012年10月時点ではJR西日本とJR四国(JR東日本から一部車両が譲渡された)で、
主に普通列車に運用されている。
1000番台
横須賀線・総武快速線の地下区間(錦糸町 - 品川間、1972年開業)直通を目的に、
1969年から製造された地下区間乗入対応車両グループである。
0番台を基本に、運輸省(→国土交通省)制定の
A-A基準に対応した難燃構造が採用された。
CP付きの西(偶数)向き制御車は、
基本番号+300の「クハ111形1300番台」と区分されている。
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113系1000番台(湘南色)
115系電車
115系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が寒冷地区・急勾配路線での運用を目的に設計し、
1963年(昭和38年)から製造を開始した直流近郊形電車である。
1963年から1983年(昭和58年)まで、改良を重ねながら1,921両も製造された。
また一時期には急行列車にも投入されたほか、
通常はEF63形による推進・牽引となる
信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)での自力走行試験車両にも抜擢された。
汎用性の高さから1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化前後に編成両数を減らして、
本数を増やす目的で、中間車の先頭車への改造が多く施工され、
JR発足時には東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)
西日本旅客鉄道(JR西日本)が承継。
2012年(平成24年)4月現在では老朽化や後継形式の登場により、
初期・中期形の多くは廃車のほか一部車両はしなの鉄道・伊豆急行に譲渡され、
全車廃車となったJR東海・伊豆急行を除いた
JR東日本・JR西日本・しなの鉄道
115系0番台
1963年から1970年(昭和45年)にかけて製造されたグループ。
客室窓部は、ユニット窓ではなく四隅に丸め処理がなされる。
クモハ・クハ115形の前照灯は大型の白熱灯で、
中間組み込み時には助士席側を折りたたみ客室(立席)への転換が可能である。
クハ115形は方向転換可能な両渡り構造を採用したほか99- は、
雨樋を乗務員室扉上まで延長し、
最前部の通風器を大型な物にする設計変更が行われた。
広域波動輸送に対応する目的から製造され後述の
モハ114-818 - 831とユニットを組むモハ115-94 - 107
クハ115-193 - 216・サハ115-25 - 30は新製時からの横軽対策施工車である。
1968年(昭和43年)12月落成のクハ115-215 -はタイフォンに耐雪カバーを装着。
1963年1月に製造開始。
同年3月に宇都宮運転所皮切りに、
新前橋電車区(現・高崎車両センター)・三鷹電車区(現・三鷹車両センター)
小山電車区(現・小山車両センター)に新製配置された。
後に新潟・静岡・岡山・下関の各地区にも転出したために<
分割民営化時にはJR東日本・JR東海・JR西日本に承継。
2013年現在も改造車を含み運用される。
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115系0番台4両
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115系0番台4両
300番台
1973年(昭和48年)に製造を開始したモデルチェンジ車で、
小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置された。
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115系300番台 さよなら115系団臨
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115系300番台4両
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115系300番台7両
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115系300番台8両
ホリデー快速鎌倉号
1000番台
上越線・信越本線などの多雪地域で使用を考慮した
耐寒耐雪構造を強化した区分で1977年から1982年(昭和57年)まで製造された。
300番台をベースとする
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115系1000番台4両 高崎車
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115系1000番台3両 高崎車
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115系1000番台6両(新新潟色)
〔211系直流近郊形電車関連の解説〕
211系電車
211系電車は、1985年(昭和60年)に登場した直流近郊形電車。
本系列は、これらに代わるフルモデルチェンジ車であり、
軽量ステンレス製車体や構造の簡便なボルスタレス台車、
電機子チョッパ制御よりも簡便かつ安価に、
回生ブレーキが使用可能で抵抗制御を基本とした界磁添加励磁制御、
応答性の高い電気指令式ブレーキや簡易的なモニタ装置など、
省エネルギーや保守費低減に配意した新機軸が各所に採用されている。
これらは通勤形電車の205系で先に採用されたものであるが、
本来は近郊形電車用のシステムとして開発されていたものである。
ユニットあたりの力行性能の向上により、電動車比率を下げ、
2M3T編成で25‰区間までの通常の使用ができる設計とし、
新製コストと運営コストの減少を狙った設計とした。
これにより2M3T編成においても113系・115系の2M2T編成と同等以上の走行性能をもつ。
車体は、片側3か所に両開きの扉を設けた国鉄近郊形電車の基本的構成であるが、
両端の側出入口の位置を若干車端に寄せた配置としている。
外板間の車体幅は、従来の2900mmから初めて2950mmまで拡大され、
裾絞りが大きくなっている。また暖地・平坦線用の113系と、
寒地・勾配線用の115系を統合し、
細部の仕様変更を行うことで両系列の取替に対応している。
また座席は従来と同様のセミクロスシートの他、
長距離通勤の増加に伴う混雑に対応するためにオールロングシートの車両も製造した。
クロスシート・ロングシートともバケットタイプとし、
ロングシートの1人分の幅を広げた。
クロスシートはシートピッチ1,490mmのままでスペースと通路幅を広げた。
また、セミクロスシート車も混雑緩和のため、
415系700番台同様車端部はロングシートとした。
国鉄時代は付属編成のみがオールロングシートとされたが、
国鉄分割民営化後の増備車はすべてオールロングシートが基本となっている。
さらに、車体の構造と台車は同時期に製造された415系1500番台にも採用され、
民営化後も車体や制御システムの設計を流用した車両が登場している。
1000・3000番台(寒冷地仕様車)
0・2000番台を基本に宇都宮線と高崎線(東北本線上野口)の
使用に配慮した寒地仕様車で、
115系非冷房車の置換え用として登場したものである。
1000番台はセミクロスシート車、3000番台はロングシート車で、
ともにスノープラウ(排雪器)、耐雪ブレーキ、半自動ドア、
レールヒーターなどの耐寒耐雪装備がなされている。
編成は、東海道本線用0・2000番台と異なり普通車のみの5両編成 (McM'TTTc') で、
1000・3000番台共同一である。東海道本線用には無い
制御電動車が用意されたのは、
将来3両編成に改組して地方路線に転属させられるように考慮したためである。
国鉄時代には、セミクロスシート車1000番台11本55両と、
ロングシート車3000番台22本110両の計165両が製造され、
民営化後は東海道本線用と同様にロングシートの3000番台のみが、
1991年までに40本200両が増備されている。
国鉄時代には、1000番台×1本+3000番台×2本で、
15両編成を組むように計画されたため、
1000番台と3000番台の運用も分けられていたが、
3000番台のみの増備となった民営化後は共通運用となった。
なお、2000番台と同様運転席背後の仕切窓、
荷物棚、吊手などに製造年次による変化がある。
新製配置は1000番台が全車両新前橋電車区(現・高崎車両センター)で、
3000番台は当初クモハ211形・モハ210形・クハ210形の車番
3001 - 3046が新前橋電車区、
3047 - 3062が小山電車区(現・小山車両センター)配置であったが、
2000年(平成12年)からE231系が小山電車区に新製配置になったことにより、
同年12月に新前橋区に配置が集約されている(現在は一部が幕張車両センターに転出)。
そのため、上野発着の東北本線では宇都宮線列車よりも高崎線列車の運用の方が多い。
優先席の吊革は高崎車・幕張車共に全ての編成でE233系タイプのものに交換済みである。
0・2000番台と同様に、2008年秋頃より、
モケット地をすおう色から青緑色に交換しているほか、
順次PS33E形シングルアーム式パンタグラフへの取り替え及び増設(一部)が行われた。
2006年9月4日、両毛線前橋駅 - 前橋大島駅間において踏切事故が発生し、
クハ210-3013が側構体に数メートルにわたって穴が開くなどの大きな損害を受けた。
当該車は大宮総合車両センターに臨時入場のうえ、復旧工事が行われた。
現物での復旧が困難な側構体と窓枠については、同時期に廃車となり、
長野総合車両センターで解体が進められていたサハ211形から該当する部分を切り取り、
これを取り付ける工法で復旧が行われた。
このため、出場後のクハ210-3013は復旧部分のみ、
ステンレスの光沢や帯色に相違が見られる。
前述した田町車両センターに続いて、
2012年度より高崎車両センター向けにもE233系3000番台が投入され、
本系列の置き換えが始まっている。
2013年3月16日のダイヤ改正で宇都宮線上野口の運用から撤退した。
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211系3000番台二階建グリーン車連結無し15両
編成番号不明
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211系3000番台5両 A28編成
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211系3000番台二階建グリーン車連結15両の回送
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211系3000番台二階建グリーン車連結15両 普通列車 上野行
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211系3000番台5両 A25編成
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211系3000番台5両 A31編成
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211系3000番台5両 A33編成
〔403系交直流近郊形電車関連の解説〕
401系・421系に搭載していた主電動機は出力100kWのMT46系列だったが、
これを120kWに出力向上したMT54系列に変更した系列である。
やはり主変圧器などの違いから常磐線用は403系、
九州用は423系という区分としている。
1965年(昭和40年)にそれぞれ水戸線電化準備用と、
鹿児島本線熊本電化延長用として新製された。
電動車は403系がモハ403・402形、423系がモハ423・422形となっているが、
付随車の制御車は前述のクハ401・421形が継続新製された。
1968年(昭和43年)まで製造され、製造両数は403系が4両編成20本計80両、
423系が4両編成30本計120両である。
なお最終増備車である403系第20編成・423系第29・30編成は、以下の改良が行われた。
屋上通風器をグローブ型から押し込み型に変更。
座席取手の変更。
客室側扉のステンレス化。
403系では行先票差しや急行札差しなどを423系の配置と同一のものに変更・統一。
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403系7両 原形ライト車K821編成
試8126M
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403系4両 原形ライト車K921編成
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403系・415系4両 K518編成
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403系4両 編成番号不明
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403系4両 編成番号不明
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403系4両 編成番号不明
〔415系交直流近郊形電車関連の解説〕
415系電車
415系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流両用近郊形電車。
国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と、
九州旅客鉄道(JR九州)に継承されたほか、
JR東日本が設計・製造した車両や西日本旅客鉄道(JR西日本)が、
113系を改造・編入した車両が存在する。
以上の系列に続き、1971年(昭和46年)から製造が開始された。
交流50/60Hz両用のTM14形主変圧器を搭載する「三電源方式」となっている。
0番台 普通鋼製車両
基本番台車。
制御車は上記系列からの編入を計画していたため300番台に区分された。
また、この番台のみトイレが両先頭車にある。
1974年落成の第4編成以降は当時製造されていた。
直流用113系・115系と同様に冷房装置搭載・外付けユニットサッシ窓の採用。
ロングシート部の座席の改善・クハ411形では運転室の拡大ならびに、
運転台のユニット化などが行われた。
また、公害防止対策として主変圧器などの冷却油をPCB油から、
シリコン油へと変更した。
非冷房車で落成した第3編成までも1977年までに冷房化改造が施工された。
冷房電源は113系・115系とは異なり、
偶数向きクハ411形に自車を含む4両給電対応で、
容量160kVAのMGを搭載するため引き通し線は方渡り構造となる。
勝田車両センター・南福岡車両区・門司港運転区所属の一部編成は、
クハ411形トイレ対向部を除きロングシートに改造。
JR九州所属車では屋上通風器・パンタグラフ周辺の
低屋根構造部の外気取り入れ口
常磐線用列車無線アンテナ台座および配管が撤去された。
さらに車体更新改造の際に側窓が一部を除き固定化された。
クハ411形では一部の奇数向き車両のトイレが撤去された。
1975年製造のクハ411-335は事故廃車となった423系先頭車
クハ421-43の代替として新製されたため、冷房装置は取り付けず、
本系列で唯一冷房準備車で落成し、
1983年に編成を組む423系とともに冷房化された。
冷房準備車特有の最前部の大型箱型通風器や
冷房装置もAU75系でも外キセをステンレス製とした
AU75E形を搭載するなどの外観が特徴だった。
同車の増備により以降0番台先頭車の奇数・偶数の車両番号の進番が逆転した。
2001年に423系の全廃と同時に415系で初の廃車となった。
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415系0番台4両
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415系0番台4両 K503編成
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415系0番台4両 編成番号不明
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415系0番台4両 編成番号不明
100番台 普通鋼製車両
1978年より製造されたクロスシート部の
座席間隔(シートピッチ)を、
従来車の1,420mmから1,490mmと70mm拡大した車両である。
車体構造は同時期に製造されていた113系2000番台と基本的に同一である。
トイレは偶数向き制御車にのみ設置となり、
制御車は奇数向き(クハ411-101 - )と偶数向き(同201 - )に区分された。
JR九州在籍車は、大分車両センター配置車両を除き、
トイレ対向部以外の座席がロングシートに改造された。
また、屋上通風器とパンタグラフ周辺の低屋根構造部の外気取り入れ口、
常磐線用列車無線アンテナ台座および配管が撤去されている。
さらに、車体更新改造の際に側窓は一部を除き固定化された。
その一方でJR東日本在籍車は順次E531系に置き換えられ、
在籍していた車両は同年3月17日をもって営業運転を終了した。
1984年に増備された偶数向きクハ411形の機能を備える
中間付随車のサハ411形は1 - 4に区分されている。
このうち1と3の冷房電源用MGは新製時は設置スペースを確保した準備工事車で、
翌1985年の7両編成組成時に設置された。
なお、同時に製造されたモハ415・414-127・128には、
ペアとなる先頭車が存在しない。
また、これらの100番台最終増備車は当初より常磐線新塗色で登場し、
屋上通風器、冷房装置の外キセ、室内のカラースキームが、
後述の500番台に合わせたものになった。
また、クロスシート部分の配色は前年の713系に類似している。
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415系100番台4両 K515編成
画像番号FH0041.JPGの画像は、
415系100番台4両 K513編成
500番台
常磐線の混雑緩和を目的として1982年より製造されたロングシート車である。
ただし、トイレ対向部はクロスシートとされた。
偶数向き先頭車はクハ411-601 - に区分された。
窓配置などの外観は100番台とほとんど同じだが、
屋上通風器は箱型に変更されている。
内装のデザインとカラースキームは当時増備されていた201系に合わせられ、
座席の端部には袖仕切りを設置した。
ロングシートの構造と寸法は105系新造車グループと、
ほぼ同等で座面が低く奥行きが深い。
当初は車内禁煙区間が上野駅 - 土浦駅間のみだったため、
ロングシート車ながら各車両の出入台の戸袋窓下と妻部に灰皿が設置されていた。
また腐食防止の観点から車体裾部にステンレスが用いられ、
1982年製510・610 - 512・612からは冷房装置の
外キセがステンレス化された。
この他、1984年製造分の513・613 - 516・616から常磐・水戸線新塗装となり、
翌1985年製造の521・621 - 524・624は後述の700番台に合わせて変圧器が変更され、
車内の天井構造も冷房ダクトを平滑化して平天井となっている。
またドアエンジン部分にも増備時期による変遷が見られる。
当初は全車が勝田に配置されたが、
1986年3月に513・613 - 517・617の5編成が、
421系を置き換えるため南福岡に転属した。
その後2007年2月に513・613と517・617の2編成が、
同年3月に514・614 - 516・616の3編成が、
475系・457系を置き換えるため鹿児島総合車両所に転属した。
JR九州在籍車は屋上通風器とパンタグラフ周辺の
低屋根構造部の外気取り入れ口が撤去された。
また勝田所属車には座席がバケット化され座面が、
若干高くなった車両が存在していた。
勝田所属車は2007年3月17日までに定期営業運転を終了した。
保留車となっていたK607編成の507・607と、
K620編成の520・620の2編成8両は、1500番台の1編成とともに、
2008年12月にJR九州に譲渡(12月24日付で廃車)。
旧K607編成は小倉工場で、旧K620編成は鹿児島総合車両所で整備され、
旧K620編成がFM520編成、旧K607編成がFM507編成となって南福岡電車区に配置され、
(それぞれ2009年3月9日・11日付で入籍)、
2009年3月より営業運転を開始している。
その後は2012年に南福岡車両区に817系3000番台が新製配置されたことに伴い、
0番台を置き換えるために大分車両センターへ転属した。
700番台
1984年 - 1985年に製造された。
落成当初より常磐・水戸線新塗装。
車内設備は車端部分をロングシートとしたセミクロスシート車で、
配色は100番台最終増備車と同様である。
屋上主変圧器は自然冷却式に改良され、車内の天井構造を平滑化している。
1985年の科学万博開催に向けた常磐線の輸送力増強のため、
他番台の一部の4両編成に編入し7両編成とする目的で製造されており、
先頭車は基本編成7両編成の4両編成化に伴って1989年に、
サハ411-707から改造されK522編成の
いわき方先頭車として運用されていたクハ411-701の1両のみが存在する。
全車が勝田車両センターに配置されていたが、
2007年3月17日までに定期営業運転を終了した。
2008年7月までに全車両とも廃車され、
廃区分番台(サハ411形は廃形式)となった。
500・700番台の落成時公式試運転は、日立製作所製では九州地区、
日本車輌製では北陸本線を走行した事例がある。
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415系500番台4両
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415系500〜700番台7両+1500番台4両
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415系500〜700番台7両 編成番号不明
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415系500〜700番台7両 編成番号不明
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415系500〜700番台7両 編成番号不明
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415系500〜700番台7両+4両
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415系7両+4両
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〔417系交直流近郊形電車関連の解説〕
417系電車
417系電車は、1978年(昭和53年)に日本国有鉄道(国鉄)が、
設計・製造した交直流近郊形電車。
全車日立製作所が製造した。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、
全車東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。
当時の国鉄は電車に汎用性を追求していたことから、
北海道以外では基本的に交流区間であっても、
交直両用電車を投入する方針としていた。
このため本系列も直流1,500V/交流20,000V50Hz/同60Hzの
3電源方式対応車として設計された。
しかし本系列は、営業運転開始から交流50Hz区間でのみ運用され続け、
後に誤操作防止のため交直流切替スイッチが交流側に固定された。
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417系3両 編成番号不明
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417系3両 K−2編成
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417系3両 K−1編成
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417系6両 編成番号不明
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417系3両 編成番号不明
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417系3両 編成番号不明
〔715系交流近郊形電車関連の解説〕
715系電車
715系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が、
581系・583系寝台特急形電車の改造により製造した近郊形電車である。
581系・583系は交流直流両用電車であるが、
新幹線延伸による夜行列車としての運用減により、
余剰が発生していた581系・583系特急形電車の近郊形改造が提案され、
近郊形への改造に際して使用線区の事情により、
交流直流切替機能を交流側に固定し交流専用とした
715系電車と交流直流切替機能を存置した419系電車の2系列に分類される。
1000番台
1985年3月のダイヤ改正に合せて仙台地区用に改造されたグループ。
改造施工は、0番台を担当した小倉工場の他に、
郡山工場(現・郡山総合車両センター)
土崎工場(現・秋田総合車両センター)が担当した。
50Hz電化区間で使用されることから、
電動車は50Hz・60Hz両用のモハネ583形・モハネ582形とし、
寒冷地で使用されることから客用扉の半自動化や
車内ロングシートの扉隣接部に防風板が設置されるなどの
防寒・防雪対策の実施をしたため1000番台に区分された。
また、0番台では床下に装備されていた増設運転台の
タイフォン(空気笛)が前照灯横に装備され、
中・上段寝台用小窓が当初から埋込まれるなどの設計変更が実施された。
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715系1000番台 黒磯方向 編成番号不明
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715系1000番台 黒磯方向 編成番号不明
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715系1000番台 黒磯方向 編成番号不明
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715系1000番台 黒磯方向 編成番号不明
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715系1000番台 仙台方向 編成番号不明
画像番号FH0042.JPGの画像は、 編成番号不明
715系1000番台 仙台方向
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715系1000番台 仙台方向 編成番号不明
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さよなら715系記念号
「さよなら715系記念号」。
さようなら715系電車のヘッドマークを掲げたN7編成
車番は、黒磯方からクハ715−1007・モハ714−1007・モハ715−1007・クハ715−1107
715系1000番台は旧国鉄時代の1984(昭和59)年9月に登場し、
仙台地区普通列車の全面電車化のため60-3改正より使用開始されました。
59-2改正で余剰となった583系の改造車で落成当初は初期故障が続発し、
編成を組んでも起動不能・各種ランプ不点灯、
など検修泣かせの車両だったそうです。
登場時はクリーム1号地でしたが、
1985(昭和60)年9月に登場した455系新塗装車に合わせて、
クリーム10号地に順次塗色変更され東北線黒磯−一ノ関間で使用されましたが、
老朽化のため1998(平成10)年3月までに、
全車が701系に置き換えられて消滅しました。
この画像は、当時のさよなら運転の画像ですが、
その当時わたしは、仙台まで乗車しました。
〔717系交流近郊形電車関連の解説〕
717系電車
717系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が設計した近郊形電車である。
両系列とも老朽化・陳腐化した交直流両用451系
453系・471系・473系・475系・457系急行形電車の電装品
冷房装置・台車などを再用して車体を新造した近郊形電車であり、
このうち交直両用車が413系電車、交流専用車が717系電車である。
1980年代に差し掛かり分割民営化を控えていた末期の国鉄は、
多額の債務を抱える赤字経営に加えてサービス水準の低さから、
社会的な批判が大きく利用者の視点に立った輸送サービスの改善が強く望まれていた。
一方、この頃まで金沢・富山あるいは仙台といった
交流電化区間の地方都市圏輸送は機関車が牽引する客車列車および、
急行列車削減により余剰となった457系をはじめとする
急行形電車により運転されていた。
これに対して国鉄では1984年(昭和59年)から、
1985年(昭和60年)にかけて地方中核都市圏のダイヤ改正を実施。
列車短編成化によるフリークエンシー向上と定時隔ダイヤを採用し、
全電車化によるスピードアップなどの輸送改善を行った。
717系0・100番台
仙台地区に投入された交流専用車両である。
クモハ717形 (Mc) - モハ716形 (M') - クハ716形 (Tc') の3両編成10本計30両が、
郡山工場(現・郡山総合車両センター・土崎工場(現・秋田総合車両センター)
小倉工場(現・小倉総合車両センター)で改造更新された。
改造内容は413系同様で、引通線も更新時にKE96形ジャンパ連結器1基装備に改造されたが、
先頭車前位に従来車との併結用KE76形2基も装備。
このため455・457系と編成単位での併結運用実績がある。
塗装は当初からクリーム10号の地色に緑14号帯のデザインである。
仙台運転所(→仙台電車区→現・仙台車両センター)に在籍。
編成番号は種車の電動車ユニットが451系の0番台車がT-1 - 5、
453系の100番台車がT101 - 105。415系電車(1500番台)や、
E721系電車への置換えにより、2007年11月10日に定期運用を終了。
置換え前の2006年から廃車がはじまり、2008年に全車廃車された。
主に常磐線水戸 - 仙台間で普通列車に運用されていたが、
末期は原ノ町以北と範囲が狭まった。
東北本線での運用実績もわずかにあり南は福島、
北は小牛田までの入線が記録されている。
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717系0番台T−1編成
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717系0番台T−2編成・717系100番台T−102編成6両、
〔阿武隈急行8100系電車関連の解説〕
阿武隈急行8100系電車
1988年、阿武隈急行線の全線電化開業にあわせ、日本車輌製造により9編成18両が製造された。
福島側に制御電動車のAM8100形、槻木側に制御付随車のAT8100形を連結し、
2両固定編成を組む。番号は8101-8102 - 8117-8118の連番となっており、
AM8100形が奇数、AT8100形が偶数である。
阿武隈急行が保有・運用する交流型電車。
画像番号FH179.JPGの画像は、
阿武隈急行8100系 編成番号不明
画像番号FH180.JPGの画像は、
阿武隈急行8100系 編成番号不明
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阿武隈急行8100系 A−5編成
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阿武隈急行8100系 A−9編成
政宗クロニクル のラッピング車両