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〔キハ100形気動車関連の解説〕
キハ100形気動車
キハ100形気動車は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の一般形気動車。
地方交通線の普通列車用として設計され、
セミクロスシート、トイレ付き、ワンマン運転対応。
乗務員室は進行方向に対して左側にしかない半室タイプを採用しており、
助士席に相当するスペースには乗客用のドアが設置されている。
そのため、ドアの位置が左右対称ではなくなっている。
ただ、車掌によるドア操作が可能なように、
小窓や車掌用ドアスイッチユニット
(通常は鍵が掛けられており、乗務員以外は操作できない)が設けられている。
0番台
46両が製造され、大船渡線、北上線、釜石線、山田線宮古 - 釜石間、
東北本線花巻 - 盛岡間および一ノ関 - 北上間で運用されている。
かつては間合い運用でIGRいわて銀河鉄道線盛岡 - 好摩間、
三陸鉄道南リアス線、三陸鉄道北リアス線、
奥羽本線横手 - 湯沢間にも入線していた時期があった。
試作車
1990年(平成2年)1月から2月にかけ1、2が新潟鐵工所、3、4が富士重工業で製作された。
車体側の排障器は一般的な鋼板製のスカート形ではなく、
ステンレス製丸鋼管の3段組みとされ、
側面は吹き寄せおよびトイレ部分にもダミーガラスを使用して、
連続窓のように見せるデザインとなっている。
また、量産車と異なり、乗務員室の側窓が鋼製枠支持となっている。
登場当初は、先頭車の正面の左右が黒色に塗装されていたが、
後に量産車に合わせてベリーペールグリーンに変更された。
また、車体に雨どいを設置していなかったが、のちに量産車同様、
客用扉・乗務員室扉上部に取り付けられている。
ワンマン運転への対応は落成当初は準備工事のみとされ、
1991年(平成3年)に改造工事が行われている。
室内は1・2・3位側出入り口付近のロングシート2席ずつを収納式とし、
混雑時に対応している点が特徴である。
キハ100-1〜4 量産先行車
両運転台車で、1990(平成2)年に量産先行車として、
1・2が新潟鐵工所、3・4は富士重工業で製造された。
写真は1・3位側を示すが、逆サイドの4位側は便所部分がダミー窓となっており、
JRマークが白色である。
また、2・3位の乗務員室側窓が押さえ金支持となっている。
新製以来一ノ関に配置され、北上線と大船渡線で使用されている。
画像番号DSC 2098.JPGの画像は、
キハ100−2
キハ100-5〜8 量産2次車
両運転台車で、1990(平成2)年度末の1991(平成3)年3月に、
富士重工業で製造された量産車(2次車)で、
量産先行車と同様にパイプスカートを装備しているが、
4位側の便所部分のダミー窓が廃止されたほか、
2・3位の乗務員室側窓がHゴム支持に変更された。
このグループも新製以来一ノ関に配置され、北上線と大船渡線で使用されている。
画像番号DSC 5643.JPGの画像は、
キハ100−6
キハ100-9〜46 量産3次車
両運転台車で、1991年(平成3年)6月から10月にかけ製造された9 - 46では、
スカートのパイプによる補強が廃止されたほか、
側面方向幕がHゴム押さえに変更されている。
室内はつり手の支持方式が曲げパイプからブラケット支持に変更されている。
製造は、9 - 29が富士重工業、30 - 46が新潟鉄工所である。
画像番号DSC 1648.JPGの画像は、
キハ100−18
画像番号FH0064.JPGの画像は、
キハ100−19の他1両
画像番号IMGP0028.JPGの画像は、
キハ100−21
画像番号DSC 2036.JPGの画像は、
キハ100−33
200番台
5両が製造され、大湊線および青い森鉄道線青森 - 八戸間で運用されている。
1992年に発生した成田線大菅踏切事故を受けての設計変更が行われ、
運転台部分の強化のため車端部が各250mm延長された。
客用ドアは0番台のプラグ式から引き戸式に変更された。
画像番号DSC 4218.JPGの画像は、
キハ100−204
画像番号IMGP0150.JPGの画像は、
キハ100−205(八戸車)
キハ100-201〜205
大湊線・青い森鉄道用
両運転台車
セミクロスシートを備える。
トイレ設置
3位側出入口脇に車椅子スペース設置
定員103(座席44)名。
〔キハ101形気動車関連の解説〕
キハ101形
左沢線用に13両が製造された。
オールロングシートで、トイレなし、ワンマン運転対応。
車内の床材はピンクの色の物とブルーの色の物がある。
ロングシートに座ると床材の足元部に黒い線が敷いてあるが、
これは足を線の内側に置くようにするためである。
優先席近くにはオレンジ色のつり革が設置されている。
車体塗色は同線独自のものを使用するとともに、
側面に「FRUITS LINER(フルーツライナー)」のアルファベット文字が施されている。
運賃表示器は設置車と未設置車があり、
未設置車については運賃表示器の部分に運賃表のステッカーを貼付してある。
乗務員室は進行方向に対して左側にしかなく、
助士席に相当するスペースには乗客用のドアが設置されている。
そのため、ドアの位置が左右対称ではなくなっている。
ただ、車掌によるドア操作が可能なように小窓や車掌用ドアスイッチユニット
(通常は鍵が掛けられており、乗務員以外は操作できない)、
乗客が立ち入らないように柵などが設置されている。
当初は新庄運転区配置であったが、
山形新幹線の新庄延伸に伴い山形電車区(現・山形車両センター)に転配された。
キハ101-12とキハ101-13には左沢寄りにメガホンが設置されている。
キハ101-1〜11
左沢線用として1993(平成5)年に1〜6、翌94(平成6)年に 7〜11、
が新潟鐵工所で製造された。
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キハ101−2
画像番号FH0131.JPGの画像は、
キハ101形4両
画像番号IMGP0264.JPGの画像は、
キハ101−7
キハ101-12・13
左沢線用として1997(平成9)年に増備された
11・12は側面助士席側窓の形状が異なっている。
左沢方にメガホンが設置
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キハ101−8(山形車)
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キハ101−13
〔キハ110系気動車関連の解説〕
キハ110系気動車
キハ110系気動車は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の一般形気動車。
老朽化したキハ20系・キハ45系などの取り替えとローカル線における
輸送サービスの改善を目的に製造され、
1990年(平成2年)3月10日に北上線でキハ100形、
釜石線と山田線でキハ110形量産先行車がそれぞれ営業運転を開始した。
製造メーカーは富士重工業・新潟鐵工所である。
気動車であるが、車体と台車の軽量化を図り、
高出力直噴式エンジンと効率の高い液体変速機との組み合わせにより、
電車並みの性能を有している。
ブレーキシステムも電車で実績のある応答性の高い電気指令式を使用しており、
在来車とは連結器の形状が異なっているため、併結はできない。
急勾配の多い山岳路線ではこの車両の導入に伴い
速度向上による時間短縮が実現した。
さらに冷房装置を搭載したことにより、
夏期における旅客サービスの向上が図られている。
車内温度保持のために、客用ドアは半自動式であり、
ドアの横に開閉スイッチが設置されている。
また、ドアチャイムも搭載されている。
試作車は登場当時先頭車の正面の左右の塗装が黒色だったが、
後に量産車に合わせて、
わずかに緑がかった白色(ベリーペールグリーン)に変更された。
キハ110形・キハ111形・キハ112形
0番台
キハ110形5両、キハ111・112形2両編成3本の計11両が製造された。
優等列車用で回転リクライニングシートを装備する。
登場当初は釜石線と山田線で運行される急行「陸中」で使用を開始した。
2011年現在は快速「はまゆり」をはじめ、
釜石線や山田線および東北本線日詰 - 盛岡間の普通列車に使用されている。
快速「はまゆり」では、主に指定席車両として使用される。
また、2007年7月からは気仙沼線快速「南三陸」の指定席車両でも使用されるようになった。
試作車は登場当時先頭車の正面の左右の塗装が黒色だったが、
後に量産車に合わせて、
わずかに緑がかった白色(ベリーペールグリーン)に変更された。
2011年現在、JRグループにおいて急行列車で、
使用されることを前提として新製された最後の車両である。
キハ111・112-1〜3
量産先行車の片運転台車
キハ110-1〜3
量産先行車 両運転台車
画像番号CIMG0834.JPGの画像は、
快速花めぐり号
キハ112−3・キハ111−3(小牛田車)
※鉄道開業150年記念 レトロラッピング車両
画像番号DSC 8774.JPGの画像は、
キハ112−3・キハ111−3(小牛田車)
画像番号IMG 0006.JPGの画像は、
キハ110−3
画像番号CIMG0894.JPGの画像は、
キハ111−1+キハ110−1
キハ100−23+キハ100−31
回9549D 郡山出場
100番台
普通列車用として設計され、キハ110形39両、
キハ111・112形2両編成21本の計81両が製造された。
セミクロスシートであるが、クロスシートはキハ100形と異なり、
ワンマン運転時の旅客の動線や混雑時を考慮して横2+1列配置となっている。
磐越東線、小海線、花輪線、山田線、岩泉線、気仙沼線、東北本線で使用され、
磐越東線、小海線ではワンマン運転も行われている。
かつては水郡線でも運用されていた。
キハ111・112-101〜108
1次形の片運転台車
キハ110-101〜104
1次形の両運転台車
画像番号DSC 8343.JPGの画像は、
東北本線台風災害不通代走
キハ112−103・キハ111−103+キハ112・キハ111(郡山車)
安積永盛〜本宮
画像番号DSC 8345.JPGの画像は、
東北本線台風災害不通代走
キハ112−106・キハ111−106+キハ112・キハ111(郡山車)
安積永盛〜本宮
画像番号DSC 8100.JPGの画像は、
東北本線運用回送
キハ112−101・キハ111−101(郡山車)
画像番号IMG 6665.JPGの画像は、
キハ111−102+キハ112−102(郡山車)
ふくしまDC「福が満開、福のしま。」
ふくしま観光キャンペーンラッピング施行編成
画像番号DSC 6250.JPGの画像は、
磐越東線用キハ110系100番台の画像
キハ111−107+キハ112−107・キハ111−105+キハ112−105(郡山車)
画像番号DSC 6278.JPGの画像は、
磐越東線用キハ110系100番台の画像
キハ111−104+キハ112−104・キハ110−103
キハ111−101+キハ112−101(郡山車)
画像番号DSC 5350.JPGの画像は、
磐越東線用キハ110系100番台の画像
キハ110−103+キハ112−101・キハ111−101(郡山車)
画像番号DSC 3568.JPGの画像は、
磐越東線用キハ110系100番台の画像
キハ110−102+キハ111−103・キハ112−103(郡山車)
画像番号IMG 0447.JPGの画像は、
磐越東線用キハ110系100番台の画像
キハ111−105+キハ112−105+キハ110−102(郡山車)
画像番号IMG 1128.JPGの画像は、
磐越東線用キハ110系100番台の画像
キハ111−106+キハ112−106(郡山車)
画像番号IMG 1350.JPGの画像は、
キハ110−103が郡山から仙台へ回送。
キハ111・112-109〜121
2次形の片運転台車で、
1991(平成3)年度に新潟鐵工所および富士重工でキハ111・112-109〜121が製造された。
109〜111が小海線、112〜121が常陸大子に新製配置された。
その後、常陸大子(のち水郡線営業所)の車両は 、
キハE130系の投入に伴い、盛岡や小牛田に転出された。
画像番号FH0068.JPGの画像は、
水郡線用キハ110形100番台3両の画像
画像番号FH0065.JPGの画像は、
水郡線用キハ111・112形100番台+キハ110形100番台の画像
キハ111−100+キハ112−100+キハ110−100番台
画像番号FH0133.JPGの画像は、
水郡線用キハ112−120+キハ111−120
画像番号FH0134.JPGの画像は、
水郡線用キハ111・112形100番台の画像
キハ111−100+キハ112−100
画像番号DSC 1374.JPGの画像は、
キハ112−113+キハ111−113(小牛田車)
キハ110-105〜139
2次形の両運転台車で、1991(平成3)年度分として 1991・92(平成3・4)年に富士重工、
新潟鐵工所で製造されたグループで、小海、新潟、常陸大子に配置された。
その後、常陸大子(のち水郡線営業所)の車両は 、
キハE130系の投入に伴い、盛岡や小牛田などに転出された。
なお、写真のキハ110-132は、水郡線から盛岡に転属したが、
2015(平成27)年2月15日に山田線において土砂に乗り上げて脱線し、
2017(平成29)年5月に廃車となった。
画像番号IMGP0130.JPGの画像は、
キハ110−1+キハ110−122(盛岡車)
画像番号IMG 2926.JPGの画像は、
水郡線用キハ110形100番台3両の画像
画像番号DSC 5090.JPGの画像は、
キハ110−137+キハ100−10
画像番号IMGP0228.JPGの画像は、
キハ110−135 首都圏色
150番台
100番台のマイナーチェンジ版として、
量産先行車の片運転台車
キハ111・112形2両編成2本が製造された。
キハ110形は存在しない。
キハ100形200番台同様の運転台強化に伴う車体延長が行なわれ、
200番台の仕様ながら100番台の床面高さであり、
ドアもプラグ式から引き戸式に変更されている。
当初は水郡線で使用されていたが、
2007年に花輪線・山田線・岩泉線(現在は廃止)へ転用された。
画像番号DSC 8402.JPGの画像は、
キハ112−152+キハ111−152(盛岡車)
画像番号IMG 9832.JPGの画像は、
キハ111−152+キハ112−152(元水郡線)
200番台
キハ110形50両、キハ111・112形2両編成21本の計92両が製造された。
そのうち、キハ110形14両とキハ111・112形2両編成3本の計20両は、
後述の300番台改造車である。
ドアが引き戸式となりステップ高さも下げられた。
羽越本線、磐越西線、八高線、飯山線、
陸羽東線、陸羽西線、米坂線に投入された。
2011年からは震災後に運行再開した仙石線陸前小野 - 石巻間でも、
津波による電化設備損傷のため同線の205系に代わって運用されている。
陸羽西線と陸羽東線に投入された車両
(キハ110-237 - 245、キハ111・112-213 - 221)は専用塗装とし、
先頭車前面左下に「奥の細道」の文字が表記されている。
また、窓側に45°回転あるいは、
通路側に180°回転可能な1人掛けクロスシートを備え、
車窓から景色を眺めるように座ることができる車両も存在する。
さらにその2線のキハ111・112形は、他の路線のそれとは仕様が異なり、
側面の行先表示機はキハ112形にのみ車端部に設置されている。
また、キハ111形の便所も同様に車端部に移設されている。
300番台改造車はテーブルを兼ねていた窓枠がそのまま残ったほか、
蛍光灯にはカバーがかけてあり特急列車で使われていた面影を残している。
初期車
1992年度(1993年2月)に製造されたグループで、
キハ110形のみ10両 (201 - 210) が制作された。
同100番台と比較し、車体はドアが引き戸式とされたため、
側扉出入口の高さを従来の1,036 mmから970 mmに変更している。
この側扉開閉機構の変更の関係で便所ユニットの位置、
座席配置が100番台から変更されており、定員は118名となっている。
キハ111・112-201〜209
1993・95・96(平成5・7・8)年に新潟鐵工所、富士重工業で製造されて、
新津および高崎に配置された。
このうち、1993(平成7)年に落成して、
新津に配置された201?203は車体側面の水切りが側引戸上部のみとなっている。
キハ110-201〜210
キハ110形100番代の改良形ともいえるグループで、
まず1992(平成4)年度(1993年2月)に、
新潟鐵工所と富士重工で10両が製造され、新津と高崎に配置された。
画像番号DSC 1770.JPGの画像は、
キハ110−204(新津車)
画像番号DSC 0775.JPGの画像は、
キハ111−209・キハ112−209(高崎車)
画像番号IMG 0875.JPGの画像は、
磐越西線用キハ110形200番台3両(新津車)の画像 会津若松にて
画像番号IMG 1243.JPG・IMG 1917.JPGの画像は、
磐越西線用キハ110形200番台3両(新津車)の画像 会津若松にて
キハ110-211〜222
本グループから乗務員室部分の構体が250mm延長されて全長が20.5mとなった。
1995(平成7)年度に増備されて高崎に配置された
キハ110-221・222の2両は、車体側面の雨樋が延長されている。
画像番号DSC 6392.JPGの画像は、
キハ110−211+キハE120−7+キハ110−212 (新津車)
画像番号DSC 5780.JPGの画像は、
キハ110−214
陸羽東線・陸羽西線向け車両
1999年(平成11年)12月の山形新幹線新庄延伸に合わせ、
1998年から陸羽西線(キハ110-237 - 245)と、
陸羽東線に投入された車両(キハ111・112-213 - 221)は本系列の最終増備車となり、
設計変更がなされている。
いずれも小牛田運輸区に配置された。
現在では明確な線区の区分は消滅し、
どちらも両線および仙台・小牛田地区で運用される。
外観は専用塗装とし、「雪景色」の白をベースに「豊かな自然」の緑を用いている。
窓下にはアクセントカラーとして、
陸羽西線向けのキハ110形は「最上川のもたらす豊かな恵み」の黄色、
陸羽東線向けのキハ111・112形は「鳴子渓谷の紅葉をイメージした」赤色を配している。
先頭車前面左下に両線の愛称(奥の細道最上川ライン・奥の細道湯けむりライン)に、
ちなみ「奥の細道」のロゴが表記されている。
なお、塗装については1998年度導入分のキハ110-237 - 239および、
キハ111・112-213 - 217については従来のもので登場したのち、
1999年度(平成11年)増備車に合わせ変更されている。
客室については基本的に従来どおりであるが、
熱線吸収ガラスを採用してカーテンを省略し、
客用扉の車内側の化粧板が廃止されステンレス無地に変更された。
キハ110-243 - 245の3両については「眺望車」とされ、
1-3位側に設置したクロスシートが窓側に45°回転あるいは、
通路側に180°回転可能な1人掛けとなっている。
そのためこの3両は定員が112名に減少している。
便所はいずれも車いす対応の洋式となり、
キハ111形は300番台編入車同様、車端部に移設されている。
また、側面の行先表示器はキハ111形については省略、キハ112形は車端部に移設されている。
機器面でも、ワンマン機器がバス用の改良品から鉄道車両用のものとなり、
自動放送装置もROM方式からICカード方式としている。
台車は軸ばねをロールゴムから円すいゴムへ変更した、
DT58B形・TR242A形に変更されている。
キハ111・112-213〜221
片運転台車で、本系列の最終増備車、
1999年(平成11年)12月の山形新幹線新庄延伸に合わせ、
1998年から陸羽西線(キハ110-237 - 245)と、
陸羽東線に投入された車両(キハ111・112-213 - 221)は、
本系列の最終増備車となり、設計変更がなされている。
いずれも小牛田運輸区に配置された。
画像番号CIMG0904.JPGの画像は、
キハ112−213+キハ111−213(小牛田車)
画像番号DSC 5362.JPGの画像は、
キハ112−216・キハ111−216(小牛田車)
キハ110-237〜242
両運転台車で、本系列の最終増備車、
1999年(平成11年)12月の山形新幹線新庄延伸に合わせ、
1998年から陸羽西線(キハ110-237 - 245)と、
陸羽東線に投入された車両(キハ111・112-213 - 221)は、
本系列の最終増備車となり、設計変更がなされている。
いずれも小牛田運輸区に配置された。
画像番号IMGP0138.JPGの画像は、
キハ110−240(小牛田車)
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キハ110−239
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キハ110形200番台2両(小牛田車)の画像
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キハ110−240他4両
他キハ111・112−220 2両連結
甲種回送
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キハ111・112−220
他キハ110形200番台4両連結
甲種回送
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キハ110形200番台2両(小牛田車)の画像
キハ110-223〜236 (300番台編入改造車)
1995年(平成7年)に特急仕様車として登場した
300番台(後述)を使用終了後に改造の上編入したグループである。
キハ110形14両 (223 - 236) およびキハ111+112形2両編成3本6両 (210 - 212) が、
1997年(平成9年)に改造された。
改造工事は改造前に新津運輸区に転属していたキハ110-223, 224(←301, 302)のみ郡山工場、
そのほかの長野総合車両所(→長野総合車両センター)所属車は同所で行われ、
それぞれ新潟地区、飯山線に投入されている。
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キハ110−223
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キハ110−223 東北地域本社色
キハ110-243〜245
「眺望車」とされ、1-3位側に設置したクロスシートが窓側に45°回転あるいは、
通路側に180°回転可能な1人掛けとなっている。
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キハ110−243(眺望車)小牛田車
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キハ110−243(小牛田車)+キハ112−112・キハ111−112(盛岡車)