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解説は画像の下の欄から掲載してあります。




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〔キハ40系気動車関連の解説〕

キハ40系気動車
キハ40系気動車は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した一般形気動車のグループである。
1974年(昭和49年)に開発されたキハ66系をベースにしており、
1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて計888両が製造され、
日本全国の非電化路線に投入された。
2010年現在でもJR旅客鉄道各社に多数が在籍し、
主に普通列車用として広く用いられている。
電車に近い車体構造の大型気動車で、
客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られている。
その一方で、それ以前の在来型気動車と比較してエンジン出力は、
若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はほとんど向上していない。
客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、
キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した
片運転台のキハ47形に大別されるが、
各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、
便所の有無などによって番台区分されている。
国鉄分割民営化後は、各社毎に使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、
派生形式や区分番台が多くなっている。
なお、近年では事故や災害、地方路線の運用見直しや、
より高性能で維持費の低廉な新型気動車への置き換えにより、
廃車や保留車が発生している。

キハ40形
本系列の主軸となる両運転台車であり、
両運転台の直後2か所に片開き扉を装備する。
新製時は全車がトイレ付きであった。

500番台
主に東北地方を対象とした寒地仕様車で、
100番台より遅れて1977年末より製造された。
デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気ばね台車を装備する。
1982年までに94両 (501 - 594) が製造された。
初期に製作された501 - 520は台車としてDT44・TR227を装備し、
車内の化粧板は客室が濃い肌色、デッキが緑色系である。
521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、
車内の化粧板はクリーム色系になった。
台車はDT44A・TR227Aに変更され、スカートの形状も変更された。
八戸運輸区の一般車両では客室などのリニューアル工事が行われており、
シートは青紫系、壁は白系の色になっている。
その他、一部車両がジョイフルトレインに改造されていて、
八戸運輸区では製造当初の内装を持つキハ40は運用されていない。
520以前の初期車両は淘汰が進み、2006年10月現在の在籍車は5両、
うち稼動車は4両のみ。冷房化改造車も主として、
磐越西線運用に充てられている新津運輸区の502のみである。

キハ40 501〜520
本州寒地向け両運転台車で、
1977・78(昭和52・53)年に新製された初期タイプ。
側面窓の小窓がドア脇にあるタイプ
縦樋あり
台車はDT44・TR227。

キハ40 521〜553
本州寒地向け両運転台車で、
窓配置や台車が変更された中期タイプを示す。
台車はDT44A・TR227Aに変更されている。
側面小窓の配置が変更され、
縦樋あり

キハ40 554〜592
本州寒地向け両運転台車で、
後期タイプを示す。
縦樋なし
1980(昭和55)年新製のキハ40 554以降は、
側面の雨樋縦管が外付けから暖地向け車と同様に埋め込みとなった。

画像番号DSC 1243.JPGの画像は、
キハ40−514(仙台色)

画像番号IMG 1426.JPGの画像は、
キハ40形500番台 新潟色(赤ベースの塗装) +キハ40形500番台 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号IMG 1248.JPGの画像は、
キハ40形500番台(仙台色)+キハ48形500番台(仙台色)

画像番号IMG 1438.JPGの画像は、
キハ40形500番台(盛岡色)

画像番号FH0024.JPGの画像は、
キハ40形500番台 新潟色(赤ベースの塗装) +キハ47形500番台 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号DSC 5516.JPGの画像は、
キハ40−582 新潟色(赤ベースの塗装)

キハ40 501〜520
本州寒地向け両運転台車、
トイレ設置、
只見線向けはNTTドコモの衛星携帯電話ワイドスターのアンテナを装備
機関換装(DMF14HZ=カミンズ製・300PS/2000rpm)
オリジナル定員96名
ロングシート定員125名。

キハ40 521〜553
本州寒地向け両運転台車、
窓配置や台車が変更された中期タイプ。
トイレ設置、
只見線向けはNTTドコモの衛星携帯電話ワイドスターのアンテナを装備
機関換装(DMF14HZ=カミンズ製・300PS/2000rpm)
オリジナル定員96名
ロングシート定員125名。

キハ40 554〜594
本州寒地向け両運転台車で、
後期タイプ。
只見線向けはNTTドコモの衛星携帯電話ワイドスターのアンテナを装備
機関換装(DMF14HZ=カミンズ製・300PS/2000rpm)
トイレ設置、
オリジナル定員96名
ロングシート定員125名。


1000番台
1979年(昭和54年)4-5月に宇都宮運転所へ新製配置し、
烏山線で運用していた
キハ40形2000番台(2011-2020:何れも富士重工宇都宮製作所が製造)のうち
水戸運転所へ転出した3両(2018-2020:その後東北地区へ転出)を除く7両
(2011-2017)からトイレを撤去し改番(1001-1007)したもので、
国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造の唯一例である。
改造工事は大宮工場で施行、
1986年(昭和61年)11月末から翌1987年(昭和62年)3月末の間に竣工した。
定員は98名。
当初は屋根上の水タンクも存置され外観上の変更はほとんど無かったが、
外装塗色は新製配置時からの首都圏色(朱色5号の単色塗装)から、
烏山線独自のローカル色(白地に緑色M字様帯模様の2色塗装)に変更した。
なお水タンクは後年撤去している。
改造後も烏山線用として宇都宮運転所に配置、
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化にあたり、
全車JR東日本に承継されている。
民営化後の1990年(平成2年)には東北地区に転出した1両
(1006:当初小牛田運輸区に転配、
一時新庄運転区を経て現在は秋田車両センター配置)を除き、
ワンマン運転対応改造と座席のロングシート化工事を施行し、
定員を144名に増員した。
1991年(平成3年)と1995年(平成7年)には同じく2000番台各1両
(高崎運転所配置の富士重工製2087および、
水郡線営業所配置の新潟鉄工所製2139)に1000番台化工事を施し、
(それぞれ富士重工宇都宮製作所およびJR東日本郡山工場で施行)計2両が、
本番台として竣工、宇都宮運転所に配置、計9両
(2013年時点で宇都宮運転所配置8両、秋田車両センター配置1両)が、
本番台となっている。
これらのうち1000番台への改造前に冷房装置を搭載していた1008を除き、
1995年から1996年にかけて冷房装置(AU34)を搭載した。

キハ40 1001〜1009
烏山線向けに暖地向け2000番台から、
トイレを撤去するなどの改造を行ったグループで9両が改造された。
ワンマン運転(後乗り前降り)対応改造と、
座席のロングシート化され、屋根上の水タンクは撤去された。

画像番号DSC 5525.JPGの画像は、
キハ40−1001(烏山色)

画像番号IMG 9014.JPGの画像は、
キハ40−1002+キハ40−1008(烏山色)

画像番号IMG 9010.JPG・IMG 9013.JPGの画像は、
キハ40−1007(一般気動車色)+キハ40−1005(首都圏色)

キハ40 1001〜1009
烏山線向けの両運転台車
ワンマン運転(後乗り前降り)対応
ロングシート
トイレ無し
定員144名。


2000番台
関東以西の温暖地を対象とした一般仕様車で、
100・500番台より遅れて1979年に製造が開始された。
窓は2段上昇式ユニット窓
(このため500番台と比べて四隅に丸みがついておらず、車体よりやや引っ込んでいる)で、
車内の化粧板はクリーム色系であり、デッキは装備されていない。
このため後述のキハ47形の「両運転台版」という性格も併せ持つこととなった。
台車は金属ばねのDT22D・TR51Cである。
1982年までに148両 (2001 - 2148) が製造された。
このうち、1980年製の キハ40 2055 は1983年6月に起きた
指宿枕崎線沿線の集中豪雨が原因の事故によって大破したため、
同年7月付で廃車された。
これは国鉄時代の本系列に生じた唯一の廃車である。

キハ40 2001〜2148
キハ40系の暖地向け両運転台車で、
1979〜82(昭和54〜57)年に148両が新製された。
キハ40形500番台に準じた車体で製造されたものであり、
窓は外バメのユニット窓であるが、
113系電車1000番台などと同じ2段上昇式である。

画像番号DSC 8351.JPGの画像は、
「急行列車『ありがとう只見キハ40』で行く 只見線奥会津日帰りの旅」、
『ありがとう只見キハ40』磐越西線 日帰りの旅 催行中止。

画像番号DSC 8355.JPGの画像は、
キハ40−2026+キハ40−582+572+502(郡山車)

画像番号DSC 8348.JPGの画像は、
キハ40−2085「只見ユネスコエコパーク」 新ラッピング車
+キハ40−584+583(仙コリ)

画像番号DSC 8350.JPG・DSC 8352.JPGの画像は、
キハ40−2021+526+2141(仙コリ)

画像番号DSC 7254.JPGの画像は、
キハ40−2085 「只見ユネスコエコパーク」 旧ラッピング車
+キハ40−526

画像番号IMG 3494.JPGの画像は、
キハ40形2000番台(仙台色)+キハ40形500番台(仙台色)

画像番号IMGP1041.JPGの画像は、
キハ40−2006(水郡色) 

画像番号IMG 4000.JPGの画像は、
キハ40−2022(仙台色)

画像番号DSC 7106.JPGの画像は、
キハ40−2023 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号DSC 4868.JPGの画像は、
キハ40−2141(仙台色)

キハ40 2001〜2148
キハ40系の暖地向け両運転台車で、
オリジナルシートワンマン対応車 定員96名
オリジナルシート定員96名


キハ48形
キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが片運転台車であり、
トイレの有無により細かな番台区分がある。
トイレは運転台のない側の車端デッキ寄りに設置されている。
四国・九州向けの暖地仕様車は存在しない。

500・1500番台
キハ40形500番台車と同様の東北地方向け寒地仕様車で、
1979年より製造が開始され、1982年まで増備が続いた。
デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。
トイレ付きの500番台は59両 (501 - 559)、
トイレなしの1500番台は50両 (1501 - 1550) が製造された。

キハ48 501〜559
キハ40形500番台と同様の寒地仕様の片運転台車で、
1979年から製造が開始され、1982年まで増備された。
デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。
59両が製造された。

キハ48 1501〜1550
キハ40形500番台と同様の寒地仕様の片運転台車で、
1979年から製造が開始され、1982年まで増備された。
デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。
50両が製造された。

画像番号DSC 7235.JPGの画像は、
キハ48−545「只見縁結びラッピング」 ラッピング車
+キハ47−511 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号DSC 4915.JPG・DSC 4924.JPGの画像は、
石ノ森章太郎の描くマンガ作品でラッピングされた「マンガッタンライナー」として運転
キハ48−503+キハ48−1513(マンガッタンライナーラッピング色) 

画像番号DSC 5015.JPGの画像は、
キハ48−553(仙台色)+キハ48−1514(仙台色)

画像番号DSC 3554.JPGの画像は、
キハ40−583(国鉄急行色)+キハ48−523(国鉄急行色) 

画像番号IMG 0967.JPGの画像は、
キハ48−503+キハ48−1513 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号IMG 0972.JPGの画像は、
キハ48−545+キハ48−1533 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号IMG 1934.JPGの画像は、
キハ48形500番台(仙台色)+キハ40形500番台(仙台色)

画像番号IMG 1998.JPGの画像は、
キハ48形500番台2両(仙台色)

画像番号IMG 3147.JPGの画像は、
キハ48形500番台(仙台色)+キハ40形500番台(仙台色)

画像番号IMG 3350.JPGの画像は、
キハ48形500番台(仙台色)+キハ48形1500番台(仙台色)

キハ48 501〜559
キハ40形500番台と同様の寒地仕様の片運転台車で、
トイレ設置。
オリジナルシート定員108名。
オリジナルシートワンマン対応車 定員142名。

キハ48 1501〜1550
キハ40形500番台と同様の寒地仕様の片運転台車で、
トイレ無し。
オリジナルシート定員116名。
オリジナルシートワンマン対応車 定員146名。


キハ47形
1.3m 幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、
いわゆる「近郊形」のレイアウトである。
キハ40形・キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、
仕向け地とトイレの有無により細かな番台区分がある。
車内の化粧板はクリーム色系だが、
初期に製造されたキハ47 1 - 16は緑色系である。
デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。
客室窓は2段上昇式ユニット窓である。

0・1000番台
温暖地向け仕様車で、
0番台車はキハ40形100番台車と相前後して1977年上期に製造が開始された。
金属バネ台車装備。
トイレ付きの0番台車は1983年までに193両 (1 - 193) が、
その後1978年から製造が開始されたトイレなしの1000番台車は、
1982年までに134両 (1001 - 1134) が製造された。
この温暖地向けキハ47形327両が本系列の最大グループである。

キハ47 1〜193
暖地向け仕様で、片運転台車であり、金属ばね台車装備。
トイレ付きの0番台車は1977年上期に製造が開始された。
1.3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、
キハ40形、キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、
いわゆる「近郊形」のレイアウトで、客室窓は2段上昇式ユニット窓、デッキは装備せず、
1983年までに193両が製造された。

キハ47 1001〜1134
暖地向け仕様で、片運転台車であり、金属ばね台車装備。
トイレなしの1000番台車は1978年から製造が開始された。
1.3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、
キハ40形、キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、
いわゆる「近郊形」のレイアウトで、
客室窓は2段上昇式ユニット窓、デッキは装備せず、
1982年までに134両が製造された。

画像番号FH0138.JPGの画像は、
キハ40形500番台 旧新潟色(青ベースの塗装) +キハ47−188 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号IMG 3334.JPGの画像は、
キハ47形1000番台2両 旧新潟色(青ベースの塗装)

キハ47 1〜193
暖地向け仕様で、片運転台車であり、金属ばね台車装備。
トイレ設置。
定員124名。

キハ47 1001〜1134
暖地向け仕様で、片運転台車であり、金属ばね台車装備。
トイレ無し。
定員128名。


500・1500番台
新潟地区向け寒地仕様車で、空気ばね台車装備。
1978年から1980年にかけてトイレ付きの500番台車22両 (501 - 522) と、
トイレなしの1500番台車21両 (1501 - 1521) が製造された。
本来は寒地仕様だが、国鉄時代に越後線と弥彦線の電化に伴い四国や中国、
九州など温暖地に転じたのち民営化を迎え、温暖地で運用されている例もある。

キハ47 1501〜1521
新潟地区向け寒地仕様で、片運転台車であり、空気ばね台車装備。
1.3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、
キハ40形、キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、
いわゆる「近郊形」のレイアウトで、
客室窓は2段上昇式ユニット窓、デッキは装備せず、
21両が製造された。

画像番号FH0017.JPGの画像は、
キハ47形500番台 旧新潟色(青ベースの塗装) +キハ40形500番台 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号DSC 2364.JPGの画像は、
キハ47−1515 新潟色(赤ベースの塗装) +キハ40−560 旧新潟色(青ベースの塗装)

画像番号DSC 2370.JPGの画像は、
キハ40−583+キハ47−515+キハ47−514(首都圏色) 

画像番号DSC 2378.JPGの画像は、
キハ48−523+キハ47−1514(国鉄急行色) +キハ47−514(首都圏色)
磐越西線紅葉号

画像番号DSC 6622.JPGの画像は、
懐かしの水郡レトロ号
キハ47−1514(国鉄急行色)+キハ48−523(国鉄急行色) 

画像番号DSC 7190.JPGの画像は、
キハ47−515+キハ47−514(首都圏色)

キハ47 501〜522
新潟地区向け寒地仕様で、片運転台車であり、空気ばね台車装備。
トイレ設置。
定員124名。

キハ47 1501〜1521
新潟地区向け寒地仕様で、片運転台車であり、空気ばね台車装備。
トイレ無し。
定員128名。