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当時スイッチバック駅だった磐越西線・中山宿(なかやまじゅく)駅
のスイッチバック解消で惜別運転された臨時列車「さよなら中山宿スイッチバック号」
磐越西線は、磐梯(ばんだい)山麓にある中山峠を越えて走り、
その勾配は1000分の25‰(パーミル、つまりは1,000m進むと標高差が25mある)にもなった為、
その途中に作られたのが中山宿駅です。
開業は1898年だそうで(明治31年・但し当初は仮乗降場)、
新潟への主力路線である上越線より33年早く開業した為、
この路線は重要なルートだったようです。
当初は通過不可能型のスイッチバック駅でしたが、
1968年(昭和43年)に通過可能型に改良され、
これによって普通列車のみが停車する駅へとなりました。
その後、貨物輸送の廃止や行き違い列車の減少等により、
1997年3月21日をもってスイッチバック駅としての役目を終え、
翌日より駅は本線上に移転しました。
当時の特急「あいづ」や快速「ばんだい」だった為に、
中山宿駅がスイッチバックである事は臨時列車が運転された。
当時有ったジョイフルトレイン「オリエントサルーン」牽引用
特別塗装機のED75-766が12系客車を牽引します。
12系客車は盛岡6両編成。
[下り編]会津若松方面(下り)
画像番号FH0700.JPGの画像は、
ED75−766号機の牽引12系盛岡車を使用した
さよならスイッチバック号会津若松まで運転
中山宿のスイッチバック廃止のために運転された記念列車です。
画像番号FH0702.JPGの画像は、
会津若松方面は1番線・郡山方面は2番線となっていた。
(会津若松行き臨時列車だった為、この列車は1番線に停車)。
画像番号FH0703.JPGの画像は、
さよならスイッチバック号ヘッドマーク
画像番号FH0704.JPGの画像は、
左側退避線・右側本線、郡山方面
画像番号FH0705.JPGの画像は、
特急ビバあいづ2号が通過
画像番号FH0706.JPGの画像は、
中山宿駅ホームに本線から侵入し入線
画像番号FH0708.JPG〜FH0711.JPGの画像は、
中山宿駅ホームから待避線にスイッチバック
画像番号FH0721.JPGの画像は、
現在の中山宿駅手前のカーブ
[上り編]郡山方面(上り)
画像番号FH0713.JPGの画像は、
ED75−766号機の牽引12系盛岡車を使用した
さよならスイッチバック号郡山まで運転
中山宿のスイッチバック廃止のために運転された記念列車です。
画像番号FH0714.JPGの〜FH0716.JPG画像は、
東長原〜翁島間 S字カーブ
画像番号FH0717.JPG・FH0718.JPGの画像は、
待避線に侵入しスイッチバック
画像番号FH0719.JPGの画像は、
待避線から中山宿駅ホームに侵入し入線
画像番号FH0720.JPGの画像は、
会津若松方面は1番線・郡山方面は2番線となっていた。
(会津若松行き臨時列車だった為、この列車は2番線に停車)。
画像番号FH0723.JPG・FH0724.JPGの画像は、
当時運転されていた455系赤(快速)塗装
画像番号FH0720.JPGの画像は、
ホームに掲げられた横断幕
画像番号FH0722.JPGの画像は、
当時の駅名標