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〔ED75形交流電気機関車関連の解説〕
ED75形電気機関車とは、
日本国有鉄道(国鉄)が1963年から製造した交流用電気機関車です。
1963年に常磐線が平駅(現・いわき駅)まで交流電化開業するのに伴い、
それまでのED71形の後継機種として、
広汎な運用に供するため汎用性を重視して設計された機関車である。
投入開始以来、当初構想の東北・常磐地区のほか、
北海道や九州にも投入され、
事実上の標準型として1976年までに総数302両が製造された。
特急列車から一般貨物列車まで幅広く運用されたが、
1980年代以降はEF81形の運用拡大、夜行客車列車や貨物列車の削減、
普通客車列車の電車化・気動車化などによって運用が減少し、
JR移行時には初期車を中心に大量の廃車が発生した。
その直後、廃車となった一部の車両が、
日本貨物鉄道(JR貨物)の輸送量増大に対応するため、
車籍を復活して運用に就いたが、
その後はEH500形の増備によって淘汰が進んでいた。
〔形態区分〕
基本番台(M形)
1 - 49号機
東北本線・常磐線用として1963年から製造された。
1・2号機は試作機で、1号機は車体構造のほか、
タップ切替器の駆動方式や機器配置も量産機と異なる。
1964年製造の3号機以降が量産機で、
2号機の仕様を基に各機器を改良している。
スカートは裾を丸めた形状である。
1987年2月までに全機が廃車となりJRには引き継がれていない。
50 - 100号機
東北本線盛岡駅電化に際し1965年から製造された。
耐寒耐雪装備を強化し、正面窓には保護柵とツララ切りが設けられ、
外観の印象が一変している。
黒磯駅構内で発生しうる直流電化区間誤進入時の機器保護のため、
主回路にヒューズを設けた。
1966年製造の85号機以降は、暖房器強化・床下のリアクトル冷却風循環化など、
耐寒・耐雪性能の改善が図られている。
外観では、後部標識板の廃止に伴い、尾灯に飾りリングが付いた。
JRに引き継がれたのは復活機を含めてこのグループ以降となる。
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ED75−84号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−85号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−90号機の牽引+コキ+タキ
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ED75−93号機
補機はカマ番号不明+ホキ7600(ホッパ車)
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ED75−95号機
補機は700番台でカマ番号不明+コキ
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ED75−97号機の牽引+コキ
101 - 160号機
1967年から製造された。
ツララ切りが省略され、初期車に近い外観であるが、
飾りリング付き尾灯と平面スカートを持つ。
床下には空気ブレーキ装置を収めるヒータ付の機器保温箱と、
大型のリアクトル排風ダクトを装備した。
主電動機は改良型のMT52A形を搭載する。
1968年製造の132号機以降はブレーキ倍率が変更され、
騒音低減のため、電動送風機をターボファンに変更している。
※120号機は1970年、121号機は1984年、
144号機は1974年にお召し列車牽引の実績がある。
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ED75−102号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−102号機
補機はカマ番号不明+タキ 1070レ
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ED75−106号機の牽引+タキ 1070レ
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ED75−107号機の牽引+旧型客車
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ED75−111号機の牽引+コキ
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ED75−114号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−116号機の牽引+タキ
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ED75−119号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−119号機の牽引
補機ED75−1028号機(新貨物更新レインボー色)+コキ
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ED75−123号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−123号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−124号機の牽引+ワム380000青色
震災のため磐越西線迂回運転
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ED75−126号機の牽引
補機はカマ番号不明+タキ5179レ
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ED75−126号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−128号機の牽引+コキ
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ED75−129号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−136号機の牽引+タキ5179レ
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ED75−140号機の牽引+ワム380000青色
震災のため磐越西線迂回運転
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ED75−143号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
700番台
奥羽本線・羽越本線用の耐雪・耐塩害対策装備機として、
1971年から1976年までに91両(701 - 791号機)が製造された。
東北日本海側の電化にあたっては、冬季の強い北西風による塩害が懸念された。
基本番台では屋根上に配置した特別高圧機器を室内配置に変更し、
これの艤装空間確保のため機器室内の電装系部品は小型軽量化された。
主変圧器はED76形500番台のものを、
基本にタップ切換器とのユニット化・列車暖房回線の追加がなされ、
特高回路遮断器・交流回路用単位スイッチ・継電器などは、
真空式に変更して重量増加を抑えた。
これにより無接点・無電弧化も進み、メンテナンスフリーが図られた。
1972年製の735号機以降は単機増圧ブレーキが追加され、
同年製の738号機以降はパンタグラフの断路器を変更している。
車体は正面下部の通風孔を廃止し、
飾り帯は塩害などによる腐食対策のためメタリック塗装に、
尾灯は電球交換の容易な外ハメ式に変更された。
パンタグラフは耐雪性を考慮し、小型の下枠交差式PS103形を採用する。
運転席の操作機器類は人間工学の考え方を採り入れ、
黒色の計器盤にメーター類を横一列に配置するなど、視認性や操作性を重視したものに一新された。
製造当初から全機を秋田機関区(現・秋田車両センター)に配置し、
奥羽本線と羽越本線で使用した。
後年のEF81形増備や老朽化したED71形置換え用として、
1980年から一部が福島機関区に転属し、東北本線でも使用されるようになる。
1986年には青函トンネル専用機のED79形に34両が改造された。
かつては特異機としてジョイフルトレイン「オリエントサルーン」用に、
塗装変更したものが延べ5両存在したが、
2005年の767号機の入場・一般色化に伴って消滅した。
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ED75−703号機牽引+12系団臨6両
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ED75−705号機+50系客車。
磐越西線普通客車列車
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ED75−722号機+50系客車。
磐越西線普通客車列車
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ED75−734号機牽引 12系客車改造お座敷列車なごやか
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ED75−757号機牽引+24系+カートレイン
落成日、1972(昭和47)年9月7日、新製配置、秋田、製造、東芝
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ED75−725号機牽引+セメント列車
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ED75−726号機+12系客車改造のお座敷列車。
くつろぎ
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ED75−726号機+12系客車改造のお座敷列車。
やすらぎ
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ED75−735号機の牽引
補機はカマ番号不明+ワム
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ED75−740号機+14系座席客車改造のお座敷列車。
浪漫
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ED75−740号機+12系客車改造のお座敷列車。
江戸
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ED75−751号機オリエントサルーン塗色+12系客車改造のお座敷列車。
JR西日本 わくわく団らん「サワ座」
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ED75−751号機オリエントサルーン塗色+12系客車改造のお座敷列車。
やすらぎ・スハフ12形1両連結。
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ED75−751号機オリエントサルーン塗色
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ED75−754号機+12系客車改造のお座敷列車。
江戸
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ED75−755号機+14系座席車6両
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ED75−757号機+チキ5500 チキ工臨 配9592レ
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東北本線開通120周年記念号 郡山⇔黒磯
安積永盛〜須賀川間にて
仙台車ED75−757号機牽引
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東北本線開通120周年記念号 10月7日 郡山⇔仙台間
郡山〜日和田間にて
仙台車ED75−757号機牽引
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東北本線開通120周年記念号 本宮にて、
仙台車ED75−757号機牽引
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東北本線開通120周年記念号 福島にて、
仙台車ED75−757号機牽引
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ED75−757号機の牽引+
14系客車(座席車)改造のお座敷列車ゆとり。
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ED75−757号機+マニ50 2050(荷物車)
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ED75−758号機+12系客車改造のお座敷列車。
JR東海 いこい「ナコ座」
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ED75−758号機+ホキ800形3両(ホッパ車)
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ED75−758号機牽引+
12・14系客車改造の洋風列車スーパーエクスプレスレインボー
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ED75−758号機 単機回送
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ED75−758号機の牽引+チキ工臨
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ED75−759号機+12系客車改造のお座敷列車。
ふれあいみちのく
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ED75−759号機の牽引+12系高崎車を使用した
12系団臨東北復興号が仙台まで運転
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ED75−759号機の牽引+C11325+旧型客車3両
SL配給
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ED75−759号機+ホキ800形4両(ホッパ車)
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ED75−762号機+12系客車6両
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ED75−766号機の牽引12系青森車を使用した
さよならスイッチバック号会津若松まで運転
中山宿のスイッチバック廃止のために運転された記念列車です。
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FH1020.JPGのそれぞれ3枚の画像は、
東北本線開通110周年記念号
ED75−766号機オリエントサルーン塗色+
旧型客車4両+12系客車2両
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ED75−766号機オリエントサルーン塗色+12系客車改造の欧風お座敷列車。
オリエントサルーン
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ED75−767号機オリエントサルーン塗色+
+12系客車改造の欧風お座敷列車。
さよならオリエントサルーン号
1000番台(P形)
東北本線全線電化に合わせ、
1968年から1976年までに39両(1001 - 1039号機)が製造された。
高速貨物列車および20系寝台特急客車牽引に対応した高速運転用の区分である。
コキ10000系コンテナ車や20系客車が標準で装備する電磁ブレーキを操作するため、
元空気溜引通しと電磁ブレーキ指令回路を追加し、
ブレーキ増圧装置を搭載している。
10000系貨車が装備するTR203形台車の空気バネに圧縮空気を供給することも可能である。
さらに20系客車との連絡用電話回路が設置されている。
床下の機器保温箱と平滑リアクトル排風ダクトは101号機以降と同様の大型のものを設け、
空気配管は耐雪カバーに収められた。
1973年製の1026号機からは尾灯を外ハメ式に変更したほか、
前面飾り帯の素材変更およびメタリック塗装化、
前面通風口の廃止・ブロック式ナンバープレートの採用などで、
前面形状は700番台に近い意匠になっている。
「ゆうづる」「あけぼの」「北星」などの20系寝台特急と、
10000系貨車で組成された高速貨物列車Aに限定運用されたが、
牽引機に特殊な装備を必要としない14系・24系客車の投入や20系客車の改造[5]が進むと、
寝台特急運用は一般機と区別なく運用されるようになった。
10000系貨車で組成された高速貨物列車Aの限定運用は、
同貨車の老朽化によりブレーキを改造し、
100km/h走行を可能にしたコキ50000形250000番台が投入されると、
この専用編成を牽引するため、
当番台に限り1988年に常用ブレーキ促進装置の取付などの対応改造が、
なされ引き続いて限定運用が組まれている。
JR化後投入された電磁ブレーキを持つコキ100系貨車による
高速貨物列車Aについても当番台による限定運用が組まれている。
本区分のうち東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承された車両は、
東北本線客車列車運用の末期に、
使用頻度の低い電磁ブレーキ指令回路を閉塞して、
代わりに側扉閉パイロットランプ回路用のジャンパ栓受が設置された。
当該車両の一部はのちにJR貨物へ移籍し、その後も運用中である。
1977年には1027号機がお召し列車を牽引、
1001号機と1003号機は予備機として整備された。
なお、1003号機と1025号機は国鉄時代の事故で廃車となっている。
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ED75−1001号機の牽引+コキ4両
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ED75−1001号機の牽引+タキ 8175レ
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ED75−1004号機の牽引+タキ 5179レ
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ED75−1004号機の牽引+タキ 1071レ
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ED75−1004号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1005号機
補機はカマ番号不明+タキ 1070レ
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ED75−1006号機の牽引+タキ+コキ
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ED75−1006号機の牽引+タキ 1070レ
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ED75−1007号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1007号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1009号機+ED75−1028号機(新貨物更新レインボー色)
+コキ
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ED75−1010号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1012号機
補機はカマ番号不明+タキ 1070レ
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ED75−1013号機の牽引+旧型客車
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ED75−1013号機
補機はカマ番号不明+タキ 1070レ
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ED75−1013号機の牽引+タキ 5179レ
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ED75−1015号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1015号機の牽引+コキ+タキ
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ED75−1016号機の牽引+タキ 5179レ
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ED75−1016号機の牽引+タキ 5179レ
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ED75−1016号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1017号機の牽引+タキ 1071レ
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ED75−1020号機の牽引+タキ 1070レ
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ED75−1020号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1020号機の牽引+コキ
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ED75−1021号機の牽引+コキ+タキ
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ED75−1022号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1022号機+
1028号機(新貨物更新レインボー色)の牽引+コキ
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ED75−1023号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1023号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1023号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1024号機の牽引+ワム380000青色
震災のため磐越西線迂回運転
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ED75−1024号機の牽引+タキ 1074レ
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ED75−1024号機の牽引+コキ
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ED75−1026号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1028号機(新貨物更新レインボー色)の牽引+タキ5179レ
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ED75−1028号機(新貨物更新レインボー色)の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1031号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
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ED75−1031号機の牽引+コキ
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ED75−1033号機の牽引+タキ 5179レ
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ED75−1036号機の牽引+コキ
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ED75−1036号機の牽引+コキ
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ED75−1039号機の牽引
補機はカマ番号不明+コキ
ED77形電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)が、磐越西線郡山 - 喜多方間電化開業にため、
1967年(昭和42年)より製造した交流用電気機関車である。
交流電気機関車の事実上の標準形式となった
ED75形の仕様を基に軸重制限のある磐越西線への入線と、
サイリスタ位相制御の実用化がなされたのが本形式である。
画像番号FH168.JPGの画像は、
ED77−10号機牽引 50系客車4両
画像番号FH160.JPGの画像は、
ED77−14号機の牽引+485系シルフィード
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ED77−11号機牽引 50系客車4両
さようならED77ヘッドマーク付き
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ED77−12号機牽引+補機はカマ番号不明 50系客車4両
さようならED77ヘッドマーク付き
ED78形電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)の交流電気機関車である。
1968年の奥羽本線米沢 - 山形間交流電化ならびに既存の直流電化区間であった
福島 - 米沢間の交流電化切替に伴い、
急勾配を有する板谷峠の通過対策を主として開発された交流電気機関車である。
画像番号FH152.JPGの画像は、
ED78−3号機牽引+50系客車
EF71形電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)が製造した交流電気機関車である。
1968年の奥羽本線米沢 - 山形間交流電化ならびに、
既存の直流電化区間であった福島 - 米沢間の交流電化切替に伴い、
急勾配を有する板谷峠での牽引定数を極力確保する必要から、
EF70形に続く動軸6軸の「F形」として開発された形式が本形式である。
板谷峠は約33‰の平均勾配を有し、碓氷峠・瀬野八と並ぶ急勾配区間である。
同区間は1949年より直流電化され、
当初はEF15形、1951年からはEF15形に回生ブレーキを追設改造したEF16形、
1964年からは抑速発電ブレーキを装備したEF64形が運用されてきた。
しかし、1959年に東北本線黒磯駅以北が交流電化され、
福島で分岐する奥羽本線も既存直流電化区間である同区間も、
1968年10月1日のダイヤ改正で奥羽本線の米沢 - 山形間が、
交流電化されるのにあわせ交流電化への切替が決定したことから、
対応型の勾配区間用交流電気機関車が計画され、
サイリスタ位相制御・交流回生ブレーキを搭載した
試作機ED94 1(後のED78 901)で試験が行われた。
同区間は貨物列車も多数運転されており、
牽引定数を極力確保する必要があった。
連結器の強度と勾配条件から列車重量は最大650tを想定したが、
ED78形のみの重連運転では連続回生ブレーキ時の熱容量不足であること、
また33‰区間での力行時に均衡電流が、
570A(一時間定格)を上回る懸念からF形機の開発・製造が求められた。
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EF71−7号機牽引+50系客車
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EF71−6号機+ED78−2号機牽引+12系客車
お別れスイッチバック号