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485系電車
日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。
1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化において、
地上設備の低廉性などから交流電化を推進した結果、
各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。
また、新幹線とのフィーダーサービスのため特急電車の運転が地方線区に拡大された結果、
電源方式の異なる区間を直通運転することのできる
特急形電車の要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)に直流/交流60Hz対応の481系電車、
翌1965年に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。
1968年からは、直流/交流50・60Hz対応の3電源に対応した485系電車が製造され、
485系が本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として、
信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠でEF63形との
協調運転に対応した489系電車が登場している。
製造は1979年まで行われ、四国を除く日本各地で特急列車に広く用いられた。
2011年4月時点で東日本旅客鉄道(JR東日本)
西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)が保有しており、
1990年代以降ではジョイフルトレインへの改造も行われている
1968年に登場した交流50・60Hz共用のTM14形主変圧器を搭載し、
国鉄在来線の電化方式すべてに対応した3電源形である。
3電源区間を直通する定期列車は大阪 - 青森の「白鳥」のみだったが、
本来の目的は車両運用と全国的な広域転属の自由度にあった。
厳密には電動車のモハ485・484形の新規2形式のみで、
製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や特殊な派生形式の設定などが行われている。
TM14形主変圧器で冷却と絶縁油に使用していた
PCB(ポリ塩化ビフェニル)油の毒性が問題
となったために新造車では1974年製の1500番台から、
絶縁油にシリコン油を使用したTM20形に変更され、
それ以前の車両にも交換が施工されている。
0番台
1968年からは交流の周波数が50・60Hz両対応となった485系電車が製造され、
本系列の統一形式名となった。
外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、
先頭部は同様のボンネット型を採用した。
1968年には全国で使用可能な50・60Hz両用の主変圧器が開発され、
1968年10月の「ヨンサントオ」改正向けに投入する特急形電車に搭載されることになり、
481系・483系を統合した3電源対応版として485系が1968年7月に登場した。
「ひたち色」編成
1992年からはモノクラス化された「ひたち」専用塗装の485系が登場、
窓周りを濃いグレーと薄緑の帯を纏った姿で、引退まで活躍しました。
「ひたち色」編成
画像番号FH000117.JPGの画像は、
1号車 クハ481−1102
製造時形式車番、サロ481-1004、
新製落成日、1976(昭和51)年3月24日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
改造後、クハ481-1102
改造施行日、1989(平成元)年11月25日、改造工、郡山工場
転属日、1986(昭和61)年10月7日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1993(平成5年10月26日、施行工、郡山工場
廃車日、2000(平成12)年7月7日、勝田
画像番号FH000114.JPGの画像は、
2号車 モハ484−67
新製落成日、1972(昭和47)年7月18日、新製配置、向日町、製造、日本車輌
転属日、1985(昭和60)年2月15日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成5)年10月26日、施行工、郡山工場
廃車日、1997(平成9)年10月4日、勝田
画像番号FH000115.JPGの画像は、
3号車 モハ485−67
新製落成日、1972(昭和47)年7月18日、新製配置、向日町、製造、日本車輌
転属日、1985(昭和60)年2月15日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成5)年10月26日、施行工、郡山工場
廃車日、1997(平成9)年10月4日、勝田
画像番号FH000116.JPGの画像は、
4号車 サハ481−303
製造時形式車番、サロ481-115、
新製落成日、1975(昭和50)年9月1日、新製配置、秋田、製造、川崎重工
転属日、1976(昭和51)年4月6日、転属配置先、南福岡
転属日、1978(昭和53)年7月29日、転属配置先、秋田
一代目改造後、サロ481-1051
改造施行日、1978(昭和53)年8月25日 改造工、土崎工場
転属日、1986(昭和61)年10月18日、転属配置先、勝田
二代目改造後、サハ481-303
改造施行日、1989(平成元)年4月25日、改造工、郡山工場
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成5)年10月26日、施行工、郡山工場
廃車日、1997(平成9)年10月4日、勝田
画像番号FH000113.JPGの画像は、
7号車 クハ481−31
新製落成日、1969(昭和44)年7月5日、新製配置、向日町、製造、近畿車輛
転属日、1975(昭和50)年3月10日、転属配置先、鹿児島
転属日、1980(昭和55)年9月29日、転属配置先、南福岡
転属日、1985(昭和60)年3月18日、転属配置先、勝田
2編成連結(密着式連結器)交換改造
施行日、1993(平成5)年6月16日、
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成5)年10月26日、施行工、郡山工場
2編成連結改造93年6月16日
廃車日、1997(平成9)年10月4日、勝田
クハ481-1101〜1108
モノクラス化されたひたち号の普通車・制御車(Tc)で、
MG(210kVA )とCPを搭載する。
荷物スペース設置
後に床置式冷房装置のAU203形が設置
定員56名。
モハ484-1〜96
モハ485形0番代とユニットを組む中間電動車(M')で、
パンタグラフ(PS16H)2基と主変圧器、
主整流器などの交流機器を搭載している。
冷房装置は屋根上には搭載機器の制限により、
AU12を2組収納したものを1基と1組のものを1基搭載し、
客室前後に床置形のAU41を3基設置している。
定員64名。
モハ485-1〜96
モハ484形0番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
車体はモハ483形を基本としている。
定員72名。
サハ481-301〜308
モノクラス化されたひたち号の普通車・中間付随車(T)で、MG・CP付き、
分散式の冷房装置AU13Eを搭載、
定員60名。
クハ481-1〜40
モノクラス化されたひたち号の普通車・制御車(Tc)で、
ボンネット部分には150kVAの電動発電機(MG)と空気圧縮機(CP)が搭載する。
定員56名。
1000番台
公式側本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、
それでも冬期の東北・北陸方面の特に日本海側では、
しばしば寒冷が原因の故障を起こした。
これに対して、1500番台および183系1000番台をベースに、
本州向け耐寒耐雪強化形として1976年から製造された区分番台で以下の設計変更が行われた。
床下機器の配置見直しや密閉化、
クハ481形では乗務員室の暖房強化を施工した。
MGにトラブルが発生してもサービス電源を確保する目的から、
サロ481形にMG・CPを搭載する3MG化がされた。
トラブル発生時には、
運転席からMGの給電区分を即時変更できるよう制御用引通線が別途増設された。
このため在来車との混結も可能だが、その際にはMGの給電区分変更機能などは失われる。
上記対応のためクハ481形は片渡りとなり方向転換が不可となった。
モハ484形は600番台の構造を取入れた専務車掌室付きである。
サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更を行った。
台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69H形を採用。
循環式汚物処理装置を本設置(装置を本格的に使用)とした。
1979年6月19日付落成のモハ485・484-1085 - 1088
クハ481-1040 - 1043をもって本系列の新造を終了した。
モハ485・484- 1001 - 1088
クハ481- 1001 - 1043
サロ481- 1001 - 1008
1978年以降に製造されたクハ481-1013 -モハ485・484-1025 - は、
座席のリクライニングが背もたれを倒した状態でロックすることが可能な、
R-51BN形簡易リクライニングシートに改良された。
本区分番台では食堂車は製造されず、
所要となるサシ481形は基本番台後期形車両の一部と、
サシ489形から改造の80番台に引通線増設などの対策を施工の上で充当した。
番号については改番されず、原番号のままであった。
特急ビバあいづ
1993年(平成5年)12月1日より郡山駅 - 会津若松駅間を運行する
特急「ビバあいづ」運転開始。
土曜・休日・多客期は一部列車が会津若松駅 - 喜多方駅間を延長運転。
運転時間1時間、走行距離64.6kmと短距離短時間の特急列車であったことから、
編成は「『ビバあいづ』編成」の通称と様々な特色が設けられた。
3号車に組み込まれたモハ485-1008は「インビテーションカー」と称し、
フリースペースを設け、会津の物産の展示などが行われた。
山形新幹線「つばさ」400系電車と同系統の塗色である銀色を中心にした専用塗装。
特急列車の車内放送冒頭で使用する
車内チャイムのオルゴールは汎用される鉄道唱歌ではなく、
会津地方の民謡「会津磐梯山」のオルゴールを使用。
専用編成が仙台電車区配置の1編成のみであったことから、
月1回帰区する際は運休・代替快速列車を運転したほか、
長期検査時には後述する他区所の485系で代走するケースもあった。
2002年(平成14年)3月23日:磐越西線で土曜・休日ダイヤを施行。
これにより、土曜日・休日に限り「ビバあいづ」の名称を、
「ホリデービバあいづ」に変更。
運転区間も下り1本を除き郡山駅 - 喜多方駅間とし、
運行本数を1往復増便の4往復とする。
2002年(平成14年)12月1日:「ビバあいづ」を「あいづ」に名称変更。
これに伴い、青森運転所の485系6両編成1本が仙台電車区へ転属となり「あいづ」に投入された。
また「ホリデービバあいづ」も「ホリデーあいづ」に名称を変更され、
「ビバあいづ」編成は12月7日の「さよならビバあいづ」を最後に磐越西線から撤退する。
特急ビバあいづ
画像番号FH000102.JPGの画像は、
1号車 クハ481−345
新製落成日、1976(昭和51)年2月18日、新製配置、青森、製造、日立製作所
転属日、1986(昭和61)年10月23日、転属配置先、勝田
転属日、1993(平成5)年8月24日、転属配置先、仙台
転属日、2003(平成15)年3月29日、転属配置先、勝田
廃車日、2017(平成29)年1月17日、勝田
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2号車 モハ484−1008
新製落成日、1976(昭和51)年2月25日、新製配置、秋田、製造、日立製作所
転属日、1992(平成4)年6月13日、転属配置先、勝田
転属日、1993(平成5)年8月24日、転属配置先、仙台
廃車日、2003(平成15)年4月4日、勝田
画像番号FH000104.JPGの画像は、
3号車 モハ485−1008
新製落成日、1976(昭和51)年2月25日、新製配置、秋田、製造、日立製作所
転属日、1992(平成4)年6月13日、転属配置先、勝田
転属日、1993(平成5)年8月24日、転属配置先、仙台
廃車日、2003(平成15)年4月4日、勝田
画像番号FH000108.JPGの画像は、
3号車 モハ485−1008
Aizu Invitation Car「インビテーションカー」
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4号車 モハ484−1053
新製落成日、1978(昭和53)年8月8日、新製配置、秋田、製造、川崎重工
転属日、1982(昭和57)年11月3日、転属配置先、青森
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年6月13日、転属配置先、勝田
転属日、1993(平成5)年7月24日、転属配置先、仙台
廃車日、2003(平成13)年1月17日、勝田
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5号車 モハ485−1053
新製落成日、1978(昭和53)年8月8日、新製配置、秋田、製造、川崎重工
転属日、1982(昭和57)年11月3日、転属配置先、青森
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年6月13日、転属配置先、勝田
転属日、1993(平成5)年7月24日、転属配置先、仙台
廃車日、2003(平成13)年1月17日、勝田
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6号車 クロハ481−1501
製造時形式車番、サロ181-1101、
新製落成日、1978(昭和53)年6月13日、新製配置、新潟、製造、日本車輌
一代目改造後、サロ481-1501
改造施行日、1983(昭和58)年1月14日 改造工、盛岡工場
転属日、1985(昭和60)年3月3日、転属配置先、勝田
二代目改造後、クハ481-1104
改造施行日、1990(平成2)年1月20日、改造工、郡山工場
三代目改造後、クロハ481-1501
改造施行日、1993(平成5)年11月10日、改造工、郡山工場
廃車日、2003(平成13)年1月17日、勝田
クハ481-301〜354
1974年以降製造の設計変更による区分。
スタイリングは200番台ベースだが、
隙間風などの運転室居住性改善と分割・併合を伴う
運用の必要性を欠いていたことから貫通路を廃止。
車体長を250mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250mmとなり、
同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。
200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。
列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式となった。
342・348・350の3両が後述の3000番台改造を施工。
「特急ビバあいづ色」
クハ481-345
定員64名。
モハ484-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の主変圧器、
主整流器などの交流機器をもつ中間電動車(M')で、
モハ484形600番代に準じて車掌室が設置されている。
屋根上にパンタグラフ(PS16H)を2基搭載、台車はDT32E。
「特急ビバあいづ色」
モハ484-1008・1053
定員64名。
モハ485-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
モハ484形1000番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
制御装置はCS15F。
屋根上に冷房装置(AU13EN)を5基搭載。
「特急ビバあいづ色」
モハ485-1008・1053
定員72名。
クロハ481形1500番台
元々は485系への編入を予定して製造されたサロ181-1101。
181系運用終了後、サロ481-1501に改造。
さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用として
クハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。
他のクロハ481形がクハ481形ベースの改造車であるのに対して、
この車両のみサロ481形ベースとなっているために種車の小窓が並ぶ窓配置である。
181系グループの車体を使用した最後の車両でもあり、
勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車で運用されたが、
2013年1月に運用を離脱し郡山総合車両センターに廃車回送された。
サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501
クロハ481-1501
定員G16、普24名。
快速あいづライナー
2003年(平成15年)10月1日:「あいづ」「ホリデーあいづ」を快速列車に格下げし、
愛称を「あいづライナー」に統一。
特急料金を廃止し、自由席は普通運賃のみで乗車可能に変更。
「ビバあいづ」・「あいづライナー」でも設定されていたグリーン席を設置せず、
普通車座席指定席のみの設定となり、
グリーン席なしのリニューアル車6両編成が投入された。
2004年(平成16年)8月31日:「あいづライナー」運転休止。
ただし、名目上10月15日まで運行され、
10月16日に「ばんだい」「あいづライナー」の名称を廃止。
2007年(平成19年)3月18日:快速「あいづライナー」を、
仙台車両センター485系「あかべぇ」車で運転再開。
「あいづライナー」の他にも列車愛称のない全車自由席快速列車も設定された。
2011年(平成23年)6月2日:2011年春に郡山総合車両センターに入場し、
「あかべぇ」塗装から往年の国鉄特急色に塗装変更して運転を開始。
「日光・きぬがわ色」編成
平成18年3月18日からの新宿〜東武日光・鬼怒川温泉間を結ぶ、
特急列車の相互直通運転開始に向けたJR東日本の乗り入れ車両、
もとは"あいづ"用としてリニューアルされた
仙台車両センター所属の車両だが、
今回の"日光"および"きぬがわ"への充当にあたっては、
先頭車クハの前面まわりなどに変化が見られる。
予備車として189系彩野も同様の車体色となりました。
仙台車の485系6両元きぬがわ色を使用した。
快速あいづライナー4号
画像番号DSC 2990.JPGの画像は、
1号車 クハ481−334
新製落成日、1975(昭和50)年5月22日、新製配置、青森、製造、東急車輌
転属日、2002(平成14)年11月8日、転属配置先、仙台
転属日、2005(平成17)年12月15日、転属配置先、小山
廃車日、2015(平成27)年7月3日、小山
画像番号DSC 2994.JPGの画像は、
2号車 モハ484−1058
新製落成日、1978(昭和53)年8月2日、新製配置、青森、製造、近畿車輌
転属日、2002(平成14)年11月8日、転属配置先、仙台
転属日、2005(平成17)年12月15日、転属配置先、小山
廃車日、2015(平成27)年7月3日、小山
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3号車 モハ485−1058
新製落成日、1978(昭和53)年8月2日、新製配置、青森、製造、近畿車輌
転属日、2002(平成14)年11月8日、転属配置先、仙台
転属日、2005(平成17)年12月15日、転属配置先、小山
廃車日、2015(平成27)年7月3日、小山
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4号車 モハ484−1055
新製落成日、1979(昭和54)年3月26日、新製配置、青森、製造、川崎重工
転属日、2002(平成14)年11月8日、転属配置先、仙台
転属日、2005(平成17)年12月15日、転属配置先、小山
廃車日、2015(平成27)年7月3日、小山
画像番号DSC 3002.JPGの画像は、
5号車 モハ485−1055
新製落成日、1979(昭和54)年3月26日、新製配置、青森、製造、川崎重工
転属日、2002(平成14)年11月8日、転属配置先、仙台
転属日、2005(平成17)年12月15日、転属配置先、小山
廃車日、2015(平成27)年7月3日、小山
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6号車 クハ481−1017
製造時形式車番、クハ481-1017、
新製落成日、1979(昭和54)年3月16日、新製配置、青森、製造、東急車輌
転属日、1982(昭和57)年9月11日、転属配置先、秋田
転属日、1986(昭和61)年7月23日、転属配置先、青森
一代目改造後、クロハ481-1013
改造施行日、1988(昭和63)年1月28日、改造工、土崎工場
元番号復帰、クハ481-1015
施行日、2006(平成18)年3月23日、施行、郡山工場
廃車日、2015(平成27)年7月3日、小山
クハ481-301〜354
1974年以降製造の設計変更による区分。
スタイリングは200番台ベースだが、
隙間風などの運転室居住性改善と分割・併合を伴う
運用の必要性を欠いていたことから貫通路を廃止。
車体長を250mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250mmとなり、
同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。
200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。
列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式となった。
342・348・350の3両が後述の3000番台改造を施工。
「日光・きぬがわ色」
クハ481-334
定員52名。
モハ484-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の主変圧器、
主整流器などの交流機器をもつ中間電動車(M')で、
モハ484形600番代に準じて車掌室が設置されている。
屋根上にパンタグラフ(PS16H)を2基搭載、台車はDT32E。
「日光・きぬがわ色」
モハ484-1055・1058
定員52名。
モハ485-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
モハ484形1000番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
制御装置はCS15F。
屋根上に冷房装置(AU13EN)を5基搭載。
「日光・きぬがわ色」
モハ485-1055・1058
定員56名。
クハ481-1001〜1043
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の制御車(Tc)。
MG(210kVA )とCPを搭載し、定員64名。
台車はTR69H。
1000番代では、奇数番号車は奇数向き、
偶数番号車は偶数向き固定使用となっている。
「日光・きぬがわ色」
クハ481-1017
定員52名。
「あかべぇ色」編成
福島県会津地方の観光キャンペーンに合わせて、
2006年に登場したA1・A2編成は、
2006年夏の臨時特急「あいづ・仙台あいづ」用に、
郡山総合車両センターで「あかべぇ」塗装への変更を含む改造を施工された編成。
2007年2月 - 3月には、千葉県勝浦市で行われた
「かつうらビッグひな祭り」向けの
臨時特急「かつうらひなまつり」に充当されたほか、
同年夏には「この夏も会津へ2007キャンペーン」の一環として、
上野 - 喜多方の臨時特急「あいづ」に投入された。
同系の中でも極めて強烈なインパクトを放つカラーリング。
元は青森に配置されていた青森運転所A7編成で、G55・G58編成となり、
青森から転属してきた485系で「快速あいづライナー」になり、
2005年度には「あいづライナー」運行用に改造され本センターに配置されたものの
観光キャンペーン列車として「特急・あいづ」が復活しました。
しかし、観光キャンペーンが終わると「あかべぇ色」編成の車輌は、
2011年春に485系「あかべぇ」編成が郡山総合車両センターに入場し、
国鉄特急色に塗装変更を実施、
同年6月2日の「あいづライナー」より運用に復帰しました。
東武直通特急「日光・きぬがわ」号へとシフトされ、
「日光・きぬがわ」編成が郡山総合車両センターで検査を受けるときや、
波動輸送と「あいづライナー」代走用として運用されていました。
仙台車の485系6両あかべぇ色を使用した。
快速あいづライナー4号
画像番号IMG 7065.JPGの画像は、
1号車 クハ481−1016
新製落成日、1978(昭和53)年9月7日、新製配置、青森、製造、東急車輌
転属日、1982(昭和57)年9月11日、転属配置先、秋田
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1987(昭和62)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 7068.JPGの画像は、
2号車 モハ484−1077
新製落成日、1978(昭和53)年9月7日、新製配置、青森、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、青森
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 7069.JPGの画像は、
3号車 モハ485−1077
新製落成日、1978(昭和53)年9月7日、新製配置、青森、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、青森
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 7071.JPGの画像は、
4号車 モハ484−1032
新製落成日、1979(昭和54)年3月23日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 7073.JPGの画像は、
5号車 モハ485−1032
新製落成日、1979(昭和54)年3月23日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 7075.JPGの画像は、
6号車 クハ481−1015
製造時形式車番、クハ481-1015、
新製落成日、1978(昭和53)年6月13日、新製配置、青森、製造、東急車輌
一代目改造後、クロハ481-1013
改造施行日、1988(昭和63)年1月28日、改造工、土崎工場
元番号復帰、クハ481-1015
施行日、2006(平成18)年7月26日、施行、郡山工場
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
クハ481-1001〜1043
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の制御車(Tc)。
MG(210kVA )とCPを搭載し、定員64名。
台車はTR69H。
1000番代では、奇数番号車は奇数向き、
偶数番号車は偶数向き固定使用となっている。
「あかべぇ色」
クハ481-1015・1016
定員52名。
モハ484-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の主変圧器、
主整流器などの交流機器をもつ中間電動車(M')で、
モハ484形600番代に準じて車掌室が設置されている。
屋根上にパンタグラフ(PS16H)を2基搭載、台車はDT32E。
「あかべぇ色」
モハ484-1032・1077
定員52名。
モハ485-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
モハ484形1000番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
制御装置はCS15F。
屋根上に冷房装置(AU13EN)を5基搭載。
「あかべぇ色」
モハ485-1032・1077
定員56名。
「イルカ色」編成
勝田車両センターで唯一原型を保つ485系K40・K60編成
両編成とも勝田へ転属してからは塗装が、
勝田車両センター独自の「イルカ」色となり、
主に臨時列車に使用されていました。
485系の原形をとどめたままのジョイフルトレイン、ドルフィン。
イメージは、側面に付くドルフィンの由来となった
イルカのマークと、楽しい海を連想させるカラーリングです。
勝田車の485系6両K60編成いるか色を使用した。
快速あいづライナー4号代走
画像番号IMG 1615.JPGの画像は、
1号車 クハ481−1505
新製落成日、1974(昭和53)年4月25日、新製配置、札幌、製造、日立製作所
転属日、1980(昭和55)年6月11日、転属配置先、青森
転属日、1986(昭和61)年9月19日、転属配置先、新潟
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、上沼垂
転属日、2002(平成14)年12月6日、転属配置先、勝田
廃車日、2013(平成25)年1月23日、勝田
画像番号IMG 1618.JPGの画像は、
2号車 モハ485−1011
新製落成日、1976(昭和51)年4月13日、新製配置、秋田、製造、日本車輌
転属日、1986(昭和61)年10月2日、転属配置先、新潟
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、上沼垂
転属日、2002(平成14)年12月6日、転属配置先、勝田
廃車日、2013(平成25)年1月23日、勝田
画像番号IMG 1622.JPGの画像は、
3号車 モハ484−1011
新製落成日、1976(昭和51)年4月13日、新製配置、秋田、製造、日本車輌
転属日、1986(昭和61)年10月2日、転属配置先、新潟
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、上沼垂
転属日、2002(平成14)年12月6日、転属配置先、勝田
廃車日、2013(平成25)年1月23日、勝田
画像番号IMG 1625.JPGの画像は、
4号車 モハ485−1013
新製落成日、1976(昭和51)年3月24日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、1986(昭和61)年10月7日、転属配置先、新潟
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、上沼垂
転属日、2002(平成14)年12月6日、転属配置先、勝田
廃車日、2013(平成25)年1月23日、勝田
画像番号IMG 1630.JPGの画像は、
5号車 モハ484−1013
新製落成日、1976(昭和51)年3月24日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、1986(昭和61)年10月7日、転属配置先、新潟
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、上沼垂
転属日、2002(平成14)年12月6日、転属配置先、勝田
廃車日、2013(平成25)年1月23日、勝田
画像番号IMG 1634.JPGの画像は、
6号車 クハ481−1504
新製落成日、1974(昭和53)年5月23日、新製配置、札幌、製造、川崎重工
転属日、1980(昭和55)年6月11日、転属配置先、青森
転属日、1986(昭和61)年10月28日、転属配置先、新潟
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、上沼垂
転属日、2002(平成14)年12月6日、転属配置先、勝田
廃車日、2013(平成25)年1月23日、勝田
クハ481-1501〜1508
北海道用耐寒耐雪構造強化車
485系1500番代の制御車(Tc)で、
北海道での使用を考慮して運転台上部の前照灯が2灯化されている。
210kVA MG・CPを搭載。
台車はTR69G。
定員64名。
「イルカ色」
クハ481-1504・1505
勝田車両センター所属のK60編成。
波動輸送対応のため定期運用はない。
2013年1月で運用離脱し廃車回送された。
定員64名。
モハ484-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の主変圧器、
主整流器などの交流機器をもつ中間電動車(M')で、
モハ484形600番代に準じて車掌室が設置されている。
屋根上にパンタグラフ(PS16H)を2基搭載、台車はDT32E。
「イルカ色」
モハ484-1011・1013
定員64名。
モハ485-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
モハ484形1000番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
制御装置はCS15F。
屋根上に冷房装置(AU13EN)を5基搭載。
「イルカ色」
モハ485-1011・1013
定員72名。
3000番台
1996年から2001年にかけて、
JR東日本が1000番台車を中心に行ったリニューアル改造車。
全車共通の改造内容を以下で解説する。
外板塗装の変更。
側窓の下辺を台枠から845mmとし、窓の大型化と窓ガラスの内側取付ユニット化。
モハ484形の遮断器を空気式(ABB)から真空式(VCB)に換装。
化粧板の張替。
出入台照明のダウンライト化。
貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化を図った物に交換。
扉ストッパーのキャッチャ式化。
電気式となるパルサーチの検知方式を採用し、客室仕切戸を自動化。
出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。
各車両の仕切戸と妻引戸上部に電光表示の室内案内情報装置
号車番号案内装置・禁煙表示装置の設置。
行先表示器・前面列車名表示器のLED化。
トイレを真空吸引式洋式に交換。
従来の洗面所を撤去し、ユニット式になる男子トイレと小スペース用洗面所を新設した。
車内放送のオルゴールにクラシック音楽を採用。
室内は、以下の改装が行われた。
グリーン車新幹線200系電車と同様の荷棚、
カーテンキセを含めたFRPカバーへの交換。
クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、
サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工。
普通車車内普通車シートピッチは910mmのまま
フリーストップリクライニングと座面のスライドが可能な物に交換。
荷棚も新タイプへ変更。
喫煙車への空気清浄機の取付。
一部車両に車椅子対応座席の設置などのバリアフリー化
モハ485形の一部車両への車販準備室と電話室の設置。
この一連の改造で大きく変わったのは先頭車のクハ・クロハ481形で、
以下の改造が施工された。
従来の運転台屋根部分をすべて撤去し、
新しい屋根構体に載せ換えて前面ガラスを1枚の大型ガラス化。
前面にFRP製マスクを取付け、愛称表示機をLED化。
スカート部へのカバー取付。
前灯・尾灯の配置を変更。
補助電源はMGからSIVに、CPも静音床下搭載タイプの2,500l/minへ増大した物に換装。
改造施工は、土崎工場(現・秋田総合車両センター)と青森運転所東派出所。
9両編成2本・6両編成12本と増結用MM'ユニット3組6両の96両が改造され、
青森運転所と上沼垂運転区に配置された。
2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故により大破し、
物的証拠として山形県警察に押収されたR24編成は、
捜査の終了により全車2007年3月31日付で、本区分番台初の廃車となった。
2011年現在で青森車両センターには「白鳥」用6両のA編成3本
「つがる」用4両のB編成3本・増結用MM'ユニット7組14両の44両が配置されていた。
所属車両のうちクロハ481-3021・クハ481-3005の2両を除く、
42両が津軽海峡線対応車となっていたが、
2012年にモハ485・484-3014のMM'ユニットがジョイフルトレイン
「ジパング」の種車となり郡山総合車両センターで改造後に、
盛岡車両センターに転属となった。
また2006年には旧A9編成のクロハ481-3020・クハ481-3350
モハ485・484-3056の4両が、J
R羽越本線脱線事故による車両補完のために新潟車両センターに転属している。
新潟車両センターには6両のR編成7本と増結用MM'ユニット1組2両の44両が配置され、
「北越」「いなほ」を中心に運用されている。
東北新幹線新青森延伸開業に伴うダイヤ改正で以下の変更点が発生した。
青森車は「白鳥」運用でグリーン車の向きを、
789系「スーパー白鳥」と統一するため方向転換を行いA編成とした。
また秋田以北の「いなほ」と「かもしか」を「つがる」に統一、
4両のB編成とした上で秋田まで運用範囲が広がった。
新潟車は「いなほ」運用が秋田までとなった。
このため秋田基準で見た場合、
編成的にはクロハ481形は逆位置だが号車名は一致、
秋田側MM'ユニットは同位置だが号車順が反対となる。
画像は、A1編成。
画像番号DSC 4304.JPGの画像は、
1号車 クハ481−3006
製造時形式車番、クハ481-1006、
新製落成日、1976(昭和51)年3月8日、新製配置、秋田、製造、日本車輌
転属日、1985(昭和60)年6月11日、転属配置先、青森
転属日、1986(昭和61)年7月30日、転属配置先、秋田
転属日、1987(昭和62)年7月1日、転属配置先、青森
改造後、クハ481-3006、
改造施行日、1997(平成9)年3月29日 改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年12月7日、青森
画像番号DSC 4298.JPGの画像は、
2号車 モハ484−3062
製造時形式車番、モハ484-1062、
新製落成日、1979(昭和54)年6月12日、新製配置、青森、製造、近畿車輌
改造後、モハ484-3062、
改造施行日、1997(平成9)年3月29日、改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年10月10日、青森
画像番号DSC 4292.JPGの画像は、
3号車 モハ485−3062
製造時形式車番、モハ485-1062、
新製落成日、1978(昭和53)年8月29日、新製配置、青森、製造、近畿車輌
改造後、モハ485-3062
改造施行日、1997(平成9)年3月29日、改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年10月10日、青森
画像番号DSC 4286.JPGの画像は、
4号車 モハ484−3031
製造時形式車番、モハ484-1031、
新製落成日、1979(昭和54)年3月23日、新製配置、青森、製造、東急車輌
改造後、モハ484-3031、
改造施行日、1997(平成9)年3月29日、改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年12月7日、
画像番号DSC 4282.JPGの画像は、青森
5号車 モハ485−3031
製造時形式車番、モハ485-1031、
新製落成日、1979(昭和54)年3月23日、新製配置、青森、製造、東急車輌
改造後、モハ485-3031
改造施行日、1997(平成9)年3月29日、改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年12月7日、青森
画像番号DSC 4274.JPGの画像は、
6号車 クロハ481−3016
製造時形式車番、クハ481-1023、
新製落成日、1978(昭和53)年8月7日、新製配置、秋田、製造、日本車輌
転属日、1986(昭和61)年7月27日、転属配置先、青森
一代目改造後、クロハ481-1016、
改造施行日、1987(昭和62)年11月17日、改造工、土崎工場
二代目改造後、クロハ481-3016、
改造施行日、1997(平成9)年3月29日、改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年12月7日、青森
画像番号DSC 3600.JPGの画像は、
モハ484−3081 (増結用)
製造時形式車番、モハ484-1081、
新製落成日、1979(昭和54)年6月12日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
改造後、モハ484-3081
改造施行日、1999(平成11)年3月24日、改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年11月2日、青森
画像番号DSC 3594.JPGの画像は、
モハ485−3081 (増結用)
製造時形式車番、モハ485-1081、
新製落成日、1979(昭和54)年6月12日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
改造後、モハ485-3081
改造施行日、1999(平成11)年3月24日、改造工、土崎工場
廃車日、2018(平成30)年11月2日、青森
クハ481-3000
青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
車番は1000番台からの改造車で原番号+2000、
クハ時代の原番号に基づく。
定員64名。
モハ484-3000
青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
車番は原番号+2000。
一部の車両にバリアフリー対応の車いす対応大型洋式トイレ、多目的室を新設。
客室出入台側に車いす対応座席を2脚設置した。
定員64名。
車いす対応車、定員58名。
モハ485-3000
青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
車番は原番号+2000。
一部の車両ではトイレを車販準備室に、洗面所を電話室と荷物置場に変更している。
定員72名。
クロハ481-3000
青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
車番は1000番台からの改造車で原番号+2000、
クハ時代の原番号に基づく。
青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
定員グリーン室16名・普通室36名。