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[特急形電車部門]
485系電車
日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。
1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化において、
地上設備の低廉性などから交流電化を推進した結果、
各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。
また、新幹線とのフィーダーサービスのため特急電車の運転が地方線区に拡大された結果、
電源方式の異なる区間を直通運転することのできる
特急形電車の要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)に直流/交流60Hz対応の481系電車、
翌1965年に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。
1968年からは、直流/交流50・60Hz対応の3電源に対応した485系電車が製造され、
485系が本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として、
信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠でEF63形との
協調運転に対応した489系電車が登場している。
製造は1979年まで行われ、四国を除く日本各地で特急列車に広く用いられた。
2011年4月時点で東日本旅客鉄道(JR東日本)
西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)が保有しており、
1990年代以降ではジョイフルトレインへの改造も行われている
1968年に登場した交流50・60Hz共用のTM14形主変圧器を搭載し、
国鉄在来線の電化方式すべてに対応した3電源形である。
3電源区間を直通する定期列車は大阪 - 青森の「白鳥」のみだったが、
本来の目的は車両運用と全国的な広域転属の自由度にあった。
厳密には電動車のモハ485・484形の新規2形式のみで、
製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や特殊な派生形式の設定などが行われている。
TM14形主変圧器で冷却と絶縁油に使用していた
PCB(ポリ塩化ビフェニル)油の毒性が問題
となったために新造車では1974年製の1500番台から、
絶縁油にシリコン油を使用したTM20形に変更され、
それ以前の車両にも交換が施工されている。
「国鉄色」編成
日本国有鉄道とその後継である。
JRグループなどで採用されている車体の塗装の総称。
1958年、特急「こだま」用の20系電車(後の181系電車)の登場に際し、
クリーム4号地に対して窓部分に赤2号を巻いたデザインを決定した。
この後、特急形電車および気動車に採用された「国鉄特急色」の始まりである。
また、寝台電車の583系電車においては、特急色のデザインを引き継ぎつつ、
クリーム1号地に対して窓部分の帯が青15号という、
寝台特急用の色を使用したデザインが採用されている。
485系0番台
1968年からは交流の周波数が50・60Hz両対応となった485系電車が製造され、
本系列の統一形式名となった。
外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、
先頭部は同様のボンネット型を採用した。
1968年には全国で使用可能な50・60Hz両用の主変圧器が開発され、
1968年10月の「ヨンサントオ」改正向けに投入する特急形電車に搭載されることになり、
481系・483系を統合した3電源対応版として485系が1968年7月に登場した。
勝田電車区485系「K7」編成
「ひたち色・両端ボンネット」の勝田電車区の485系「K7」編成は、
以前は上野方のクハのみにしか無かった
ボンネット先端の「特急マーク」が仙台方のクハにも取り付けられて、
車体側面への「JRマーク」の書き込みは行われず、
美しい「国鉄特急色」となっていました。
残念ながら、側面の「JNRマーク」の復活や、14両運転のために改造された、
「スカート」の復元などは行われず、「連結器カバー」もありませんでしたが、
これは逆に塗装変更後も他の485系と編成を組んで「14両で走る」可能性を、
残したわけで、それはそれで楽しみな事ではあります。
予定の定期運用への充当以外にも、
通常の仕業に充当され、
「ひたち色」+「国鉄色」の堂々の14連での運行なども行われていました。
その後K7は他の485系編成と区別されずに運用されている様で、
編成と区別されずに運用されている様で、頻繁にその姿を見ることができました。
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1号車 クハ481−38
新製落成日、1970(昭和45)年3月3日、新製配置、向日町、製造、東急車輛
転属日、1975(昭和50)年3月10日、転属配置先、鹿児島
転属日、1985(昭和60)年3月19日、転属配置先、勝田
2編成連結(密着式連結器)交換改造
施行日、1993(平成5)年9月6日、
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成7)年12月22日、施行工、郡山工場
国鉄特急色へ塗色変更
施行日、1998(平成10)年7月22日、施行工、郡山工場
廃車日、1998(平成10)年12月15日、勝田
画像番号FH0334.JPGの画像は、
2号車 モハ484−54
新製落成日、1971(昭和46)年12月22日、新製配置、仙台、製造、日立製作所
転属日、1985(昭和60)年3月13日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成7)年12月22日、施行工、郡山工場
国鉄特急色へ塗色変更
施行日、1998(平成10)年7月22日、施行工、郡山工場
廃車日、1998(平成10)年12月15日、勝田
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3号車 モハ485−54
新製落成日、1971(昭和46)年12月22日、新製配置、仙台、製造、日立製作所
転属日、1985(昭和60)年3月13日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成7)年12月22日、施行工、郡山工場
国鉄特急色へ塗色変更
施行日、1998(平成10)年7月22日、施行工、郡山工場
廃車日、1998(平成10)年12月15日、勝田
画像番号FH000111.JPGの画像は、
4号車 サハ481−109
新製落成日、1976(昭和51)年6月22日、新製配置、向日町、製造、近畿車輛
転属日、1986(昭和61)年9月5日、転属配置先、青森
転属日、1987(昭和62)年7月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1989(平成元)年3月1日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成7)年12月22日、施行工、郡山工場
国鉄特急色へ塗色変更
施行日、1998(平成10)年7月22日、施行工、郡山工場
廃車日、1998(平成10)年12月15日、勝田
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5号車 モハ484−63
新製落成日、1972(昭和47)年8月4日、新製配置、向日町、製造、日立製作所
転属日、1985(昭和60)年2月6日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成7)年12月22日、施行工、郡山工場
国鉄特急色へ塗色変更
施行日、1998(平成10)年7月22日、施行工、郡山工場
廃車日、1998(平成10)年12月15日、勝田
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6号車 モハ485−63
新製落成日、1972(昭和47)年8月4日、新製配置、向日町、製造、東急車輌
転属日、1985(昭和60)年2月6日、転属配置先、勝田
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成7)年12月22日、施行工、郡山工場
国鉄特急色へ塗色変更
施行日、1998(平成10)年7月22日、施行工、郡山工場
廃車日、1998(平成10)年12月15日、勝田
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7号車 クハ481−32
新製落成日、1969(昭和40)年7月5日、新製配置、向日町、製造、近畿車輛
転属日、1975(昭和50)年3月10日、転属配置先、鹿児島
転属日、1980(昭和55)年9月29日、転属配置先、南福岡
転属日、1985(昭和60)年3月18日、転属配置先、勝田
2編成連結(密着式連結器)交換改造
施行日、1993(平成5)年10月14日、
ひたち色へ塗色変更
施行日、1995(平成7)年12月22日、施行工、郡山工場
国鉄特急色へ塗色変更
施行日、1998(平成10)年7月22日、施行工、郡山工場
廃車日、1998(平成10)年12月15日、勝田
クハ481-1〜40
初期型制御車。
ボンネット形先頭部にはクハ151形・161形同様に、
150kVA電動発電機(MG)と容量3,000l/minの空気圧縮機(CP)が搭載される。
定員56名。
モハ484-1〜96
モハ485形0番代とユニットを組む中間電動車(M')で、
パンタグラフ(PS16H)2基と主変圧器、
主整流器などの交流機器を搭載している。
冷房装置は屋根上には搭載機器の制限により、
AU12を2組収納したものを1基と1組のものを1基搭載し、
客室前後に床置形のAU41を3基設置している。
定員64名。
モハ485-1〜96
モハ484形0番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
車体はモハ483形を基本としている。
定員72名。
サハ481-101〜
1976年に製造された付随車。
基本番台から後位側に車販準備室・業務用室を設置する設計変更により、
定員が8名減の64名となり番台区分された。
新製時は向日町と南福岡に集中配置されたが、
床下にMG・CP設置準備工事が施工されていたことから、
1978年10月のダイヤ改正で東北特急3MG化のため一部が仙台運転所へ転出した。
110・111の2両はクハ182-1・2に改造されたが、
1985年3月ダイヤ改正で残りの16両全車が向日町集中配置となった。
後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車に改造された。
108・109の2両が1998年に廃車されて区分消滅した。
定員64名。
200番台・300番台
1972年下半期から製造されたグループで、
向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。
また以下に示す大きな設計変更が実施された。
クハ481形は将来予想される分割・併合運転を考慮し、
ボンネットを廃止して前面貫通形[注 15]を採用した。
モハ484形は冷房装置は1基で1両全体を冷房できる
AU71形集中式冷房装置に、
その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載へ変更となり、
特徴的なきのこ形カバーを持つAU12形や
薄板プレスの車内ルーバーは廃止され機能面が優先された。
後期型(1974年 - 1976年)
1974年から製造されたグループ。
新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置され、
以下の設計変更・改良が行われた。
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クハ481−346
新製落成日、1975(昭和51)年2月16日、新製配置、青森、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年7月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2003(平成15)年1月10日、転属配置先、上沼垂
転属日、2004(平成16)年4月1日、転属配置先、新潟
廃車日、2015(平成27)年3月20日、新潟
クハ481-301〜354
200番台ベースのデザインであるが、分割・併合を伴う運用の必要性を欠き、
隙間風などに問題のあった貫通路の廃止と、
運転室の居住性改善などの設計変更による区分で1974年以降に製造された。
1000番台
公式側本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、
それでも冬期の東北・北陸方面の特に日本海側では、
しばしば寒冷が原因の故障を起こした。
これに対して、1500番台および183系1000番台をベースに、
本州向け耐寒耐雪強化形として1976年から製造された区分番台で以下の設計変更が行われた。
床下機器の配置見直しや密閉化、
クハ481形では乗務員室の暖房強化を施工した。
MGにトラブルが発生してもサービス電源を確保する目的から、
サロ481形にMG・CPを搭載する3MG化がされた。
トラブル発生時には、
運転席からMGの給電区分を即時変更できるよう制御用引通線が別途増設された。
このため在来車との混結も可能だが、その際にはMGの給電区分変更機能などは失われる。
上記対応のためクハ481形は片渡りとなり方向転換が不可となった。
モハ484形は600番台の構造を取入れた専務車掌室付きである。
サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更を行った。
台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69H形を採用。
循環式汚物処理装置を本設置(装置を本格的に使用)とした。
1979年6月19日付落成のモハ485・484-1085 - 1088
クハ481-1040 - 1043をもって本系列の新造を終了した。
モハ485・484- 1001 - 1088
クハ481- 1001 - 1043
サロ481- 1001 - 1008
1978年以降に製造されたクハ481-1013 -モハ485・484-1025 - は、
座席のリクライニングが背もたれを倒した状態でロックすることが可能な、
R-51BN形簡易リクライニングシートに改良された。
本区分番台では食堂車は製造されず、
所要となるサシ481形は基本番台後期形車両の一部と、
サシ489形から改造の80番台に引通線増設などの対策を施工の上で充当した。
番号については改番されず、原番号のままであった。
クハ481-1100番台
特急「ひたち」のモノクラス編成化用として、
サロ481形1000番代・サロ481形1500番代(旧サロ181形1100番代)を改造したグループで、
1989〜1991(平成元〜3)年に郡山工で8両改造された。
改造では 種車の後位側車端部(洗面所、便所と一部の客席部分)を、
台枠ごと切断してクハ481形1000番代と同様の非貫通形先頭部(新品)を接合し、
座席をグリーン車用のリクライニングシートから、
普通車用のフリーストップ・リクライニングシートに交換して、
クハ481形1000番代と同様の設備に変更された(定員56名)。
種車の空気圧縮機(CP)と210kVAの電動発電機(MG)は、
そのまま床下に搭載されているが、
水タンクなどは洗面所・便所の撤去に伴い撤去されている。
勝田に配属され特急「ひたち」で使用されたが、
1993(平成5)年に1両が特急「ビバあいづ」用の
クロハ481形1500番代(クロハ481-1501)に改造され、
1998(平成10)年までに残りの7両は運用を離脱した。
その後 2000(平成12)年までに5両が廃車となり、
2両がお座敷電車「せせらぎ」用のクロ484・クロ485形に改造され区分消滅した。
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クハ481−1101
製造時形式車番、サロ481-1003、
新製落成日、1976(昭和51)年4月13日、新製配置、秋田、製造、日本車輌
転属日、1986(昭和61)年5月14日、転属配置先、勝田
改造後、、クハ481-1101
改造施行日、1989(平成2)年11月9日、改造工、郡山工場
ひたち色へ塗色変更
施行日、1992(平成4)年6月29日、施行工、郡山工場
廃車日、1999(平成11)年4月14日、勝田
クハ481-1101〜1108
モノクラス化されたひたち号の普通車・制御車(Tc)で、
MG(210kVA )とCPを搭載する。
荷物スペース設置
後に床置式冷房装置のAU203形が設置
定員56名。
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サロ481−1006
新製落成日、1976(昭和51)年4月22日、新製配置、秋田、製造、日立製作所
転属日、1986(昭和61)年10月18日、転属配置先、勝田
改造後、クハ481-1103
改造施行日、1989(平成元)年12月25日、改造工、郡山工場
ひたち色へ塗色変更
施行日、1994(平成6)年3月31日、施行工、郡山工場
廃車日、2000(平成12)年7月7日、勝田
サロ481-1001〜
1000番代のグリーン車・中間付随車(Ts)で、
MG(210kVA )とCPを搭載する。
前位寄に車販準備室が設置され、後位寄は和式便所、
洗面所が設けられている。
定員48名。
485系6両T18編成新潟車国鉄色を使用した。
快速あいづライナー4号
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1号車 クロハ481−1029
製造時形式車番、クハ481-1035、
新製落成日、1978(昭和53)年8月2日、新製配置、秋田、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年7月1日、転属配置先、青森
一代目改造後、クロハ481-1029
改造施行日、1993(平成5)年11月26日、改造工、青森運
転属日、2000(平成12)年7月2日、転属配置先、上沼垂
転属日、2004(平成16)年4月1日、転属配置先、新潟
廃車日、2015(平成27)年8月12日、新潟
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2号車 モハ484−1082
新製落成日、1979(昭和54)年6月12日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2000(平成12)年7月2日、転属配置先、上沼垂
転属日、2004(平成16)年4月1日、転属配置先、新潟
廃車日、2015(平成27)年8月12日、新潟
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3号車 モハ485−1082
新製落成日、1979(昭和54)年6月12日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2000(平成12)年7月2日、転属配置先、上沼垂
転属日、2004(平成16)年4月1日、転属配置先、新潟
廃車日、2015(平成27)年8月12日、新潟
画像番号IMG 0036.JPGの画像は、
4号車 モハ484−1074
新製落成日、1978(昭和53)年8月22日、新製配置、秋田、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2000(平成12)年7月2日、転属配置先、上沼垂
転属日、2004(平成16)年4月1日、転属配置先、新潟
廃車日、2015(平成27)年8月12日、新潟
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5号車 モハ485−1074
新製落成日、1978(昭和53)年8月22日、新製配置、秋田、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2000(平成12)年7月2日、転属配置先、上沼垂
転属日、2004(平成16)年4月1日、転属配置先、新潟
廃車日、2015(平成27)年8月12日、新潟
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6号車 クハ481−1508
新製落成日、1974(昭和49)年4月25日、新製配置、青森、製造、日立製作所
転属日、1980(昭和55)年9月28日、転属配置先、青森
転属日、1987(昭和62)年7月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1992(平成4)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2000(平成12)年7月2日、転属配置先、上沼垂
転属日、2004(平成16)年4月1日、転属配置先、新潟
廃車日、2015(平成27)年7月10日、新潟
クロハ481形
特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、
クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
クロハ481形1000番台
1001〜1030
1986〜1988年・1993年に土崎工場と青森運転所で、
クハ481形1000・1500番台から改造された。
投入列車に仕様を合わせたため施工内容に若干の差異がある。
1010〜1021・1028〜1030
「はつかり」用グループでグリーン室定員16名、
普通室定員36名の奇数向き片渡り構造。
1011・1018・1028〜1030は「いなほ」用として、
新潟車両センターへ転属した際に偶数向き方向転換改造を施工。
「国鉄色新潟車」
クロハ481-1029
定員G20、普32名。
モハ484-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の主変圧器、
主整流器などの交流機器をもつ中間電動車(M')で、
モハ484形600番代に準じて車掌室が設置されている。
屋根上にパンタグラフ(PS16H)を2基搭載、台車はDT32E。
「国鉄色オリジナル車」
モハ484-1074・1082
定員64名。
モハ485-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
モハ484形1000番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
制御装置はCS15F。
屋根上に冷房装置(AU13EN)を5基搭載。
「国鉄色オリジナル車」
モハ485-1074・1082
定員72名。
クハ481-1501〜1508
北海道用耐寒耐雪構造強化車
485系1500番代の制御車(Tc)で、
北海道での使用を考慮して運転台上部の前照灯が2灯化されている。
210kVA MG・CPを搭載。
台車はTR69G。
定員64名。
「国鉄色オリジナル車」
クハ481-1508
1508はJR化以降も主に秋田・青森に所属したが、
2000年に新潟車両センターに転属しT18編成の6号車に組込まれた。
ATS-P形が2度目の青森所属時代に装備されており、
以前は「ムーンライトえちご」で現在は「能登」の第1予備ならびに、
波動輸送対応編成でもある。
1982年と1985年の広域転配で、
鹿児島運転所への牽引車運用に投入されたことで、
電化区間の最北端・最南端両方への到来実績がある。
2008年6月以降の旧国鉄色に復活
定員64名。
仙台車の485系6両国鉄色を使用した。
快速あいづライナー4号
画像番号IMG 1672.JPGの画像は、
1号車 クハ481−1016
新製落成日、1978(昭和53)年9月7日、新製配置、青森、製造、東急車輌
転属日、1982(昭和57)年9月11日、転属配置先、秋田
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1987(昭和62)年7月1日、転属配置先、青森
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
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2号車 モハ484−1077
新製落成日、1978(昭和53)年9月7日、新製配置、青森、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、青森
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 1682.JPGの画像は、
3号車 モハ485−1077
新製落成日、1978(昭和53)年9月7日、新製配置、青森、製造、日立製作所
転属日、1987(昭和62)年3月1日、転属配置先、南秋田
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、青森
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 1684.JPGの画像は、
4号車 モハ484−1032
新製落成日、1979(昭和54)年3月23日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 1690.JPGの画像は、
5号車 モハ485−1032
新製落成日、1979(昭和54)年3月23日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
画像番号IMG 1694.JPGの画像は、
6号車 クハ481−1015
製造時形式車番、クハ481-1015、
新製落成日、1978(昭和53)年6月13日、新製配置、青森、製造、東急車輌
転属日、1982(昭和57)年9月11日、転属配置先、秋田
転属日、1986(昭和61)年7月23日、転属配置先、青森
一代目改造後、クロハ481-1013
改造施行日、1988(昭和63)年1月28日、改造工、土崎工場
転属日、2006(平成18)年3月23日、転属配置先、仙台
元番号復帰、クハ481-1015
施行日、2006(平成18)年7月26日、施行、郡山工場
廃車日、2016(平成28)年8月4日、仙台
クハ481-1001〜1043
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の制御車(Tc)。
MG(210kVA )とCPを搭載し、定員64名。
台車はTR69H。
1000番代では、奇数番号車は奇数向き、
偶数番号車は偶数向き固定使用となっている。
「仙台車国鉄色」
クハ481-1015・1016
定員52名。
モハ484-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
485系1000番代の主変圧器、
主整流器などの交流機器をもつ中間電動車(M')で、
モハ484形600番代に準じて車掌室が設置されている。
屋根上にパンタグラフ(PS16H)を2基搭載、台車はDT32E。
「仙台車国鉄色」
モハ484-1032・1077
定員52名。
モハ485-1001〜1088
耐寒耐雪構造車
モハ484形1000番代とユニットを組む中間電動車(M)で、
制御装置はCS15F。
屋根上に冷房装置(AU13EN)を5基搭載。
「仙台車国鉄色」
モハ485-1032・1077
定員56名。
583系電車
日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した動力分散方式の寝台電車。
交直両用特急形電車。
最初に使用された列車にちなんで「月光形電車」の異名を持つ。
1968年(昭和43年)10月の東北本線青森電化ならびに、
山陽本線・九州地区の増発にあわせたダイヤ改正に際して開発されたグループ。
製造は1972年まで前述の4社に加え汽車製造・東急車輛製造も担当した。
581系での使用実績の反映も含めて以下の設計変更や改良が実施された。
電動車は、主変圧器を485系同様の3電源
(直流1,500V/交流50・60Hz20kV)で運行可能なTM14形に、
主電動機をMT54形からMT54B形に変更したモハネ583・582形に移行。
3電源直通運用は定期列車ではなかったが、
1985年以降の最繁忙期に臨時特急「日本海51・52号」や
臨時急行「あおもり」で日本海縦貫線大阪 - 青森間の運転で実現。
モハネ581形では専務車掌室が後位海側に設置されており、
山側のホーム看視や車掌スイッチの取り扱いに不都合が生じていたことから、
モハネ580形の後位側車端部に中央の通路を挟んで、
左右に配置されていた床上冷房装置室(山側)と、
乗務員室(海側)をモハネ582形では反対に配置して、
山側ホームの看視と車掌スイッチ操作をこの乗務員室で実施可能に変更。
モハネ582形のパンタグラフを耐雪強化されたPS16H形に変更。
各車の一方の車端部に2カ所設置されているトイレのうち、
車体中央寄りの方の出入り口を客室出入り口戸との
干渉を避けての移設と向きを反転。
寝台の使用時の騒音減少を目的として、
各部へのパッキン類の追加や構成部材の材質変更が行われ、
さらに組立解体時の仕切り折り畳みや荷棚固定操作が、
容易となるよう寝台そのものの構造修正を実施。
東北地区で使用される青森運転所(現・青森車両センター)配属車は、
耐寒耐雪構造などを施工。
洗面所の暖房を強化し、
凍結防止用保温ヒーターが給水系統・弁装置、
バッテリー・ジャンパ栓・客用扉下部など各部に追加。
クハネ581形はタイフォン(警笛)に耐雪シャッターの新設。
黒磯駅構内デッドセクション通過用列車選別装置
および常磐線用VHF150MHz帯列車無線対応の無線機ならびに、
屋根上に円筒状のアンテナを搭載。
南福岡電車区配置車では標準化の観点から構造は共通とされたが、
これらの装備はいずれも準備工事あるいは未設置とされた。
元仙台車の583系6両国鉄色を使用した。
快速あいづライナー4号
画像番号IMG 5969.JPGの画像は、
1号車 クハネ583−8
新製落成日、1970(昭和45)年5月29日、新製配置、青森、製造、川崎重工
転属日、2003(平成15)年2月24日、転属配置先、仙台
転属日、2011(平成23)年8月18日、転属配置先、秋田
廃車日、2016(平成28)年9月2日、秋田
画像番号IMG 5977.JPGの画像は、
2号車 モハネ582−106
新製落成日、1972(昭和47)年2月4日、新製配置、南福岡、製造、川崎重工
転属日、1975(昭和50)年3月15日、転属配置先、青森
転属日、2003(平成15)年2月24日、転属配置先、仙台
転属日、2011(平成23)年8月18日、転属配置先、秋田
廃車日、2017(平成29)年10月14日、秋田
画像番号IMG 5976.JPGの画像は、
3号車 モハネ583−106
新製落成日、1972(昭和47)年2月4日、新製配置、南福岡、製造、川崎重工
転属日、1975(昭和50)年3月15日、転属配置先、青森
転属日、2003(平成15)年2月24日、転属配置先、仙台
転属日、2011(平成23)年8月18日、転属配置先、秋田
廃車日、2017(平成29)年10月14日、秋田
画像番号IMG 5981.JPGの画像は、
4号車 モハネ582−100
新製落成日、1971(昭和46)年12月17日、新製配置、青森、製造、川崎重工
転属日、2003(平成15)年2月24日、転属配置先、仙台
転属日、2011(平成23)年8月18日、転属配置先、秋田
廃車日、2018(平成30)年3月1日、秋田
画像番号IMG 5985.JPGの画像は、
5号車 モハネ583−100
新製落成日、1971(昭和46)年12月17日、新製配置、青森、製造、川崎重工
転属日、2003(平成15)年2月24日、転属配置先、仙台
転属日、2011(平成23)年8月18日、転属配置先、秋田
廃車日、2018(平成30)年3月1日、秋田
画像番号IMG 5988.JPGの画像は、
6号車 クハネ583−17
新製落成日、1970(昭和45)年8月25日、新製配置、青森、製造、川崎重工
転属日、2003(平成15)年2月24日、転属配置先、仙台
転属日、2011(平成23)年8月18日、転属配置先、秋田
クハネ583-1〜30
制御車(Tnc3)。
MG(210kVA )とCPを搭載し、
座席定員52名・寝台定員39名
モハネ583-1〜106
モハネ582とユニットを組む中間電動車(Mn)で、
座席定員60名・寝台定員45名
モハネ582-1〜106
モハネ583とユニットを組む
主変圧器、主整流器などの交流機器をもつ中間電動車(M'n)で、
座席定員56名・寝台定員36名