画像をクリックすると拡大します。
解説は画像の下の欄から掲載してあります。
IMG_0350 |
IMG_0352 |
IMG_0354 |
IMG_0356 |
IMG_0358 |
IMG_0366 |
DSC_0035 |
DSC_0036 |
DSC_0040 |
IMG_0364 |
IMG_0376 |
IMG_0378 |
IMG_0380 |
IMG_0372 |
IMG_0374 |
IMG_0382 |
14系14形寝台車
車両の概要としては、上記にあるとおりであるが、
特徴としては、B寝台車の内装が、
それ以前の標準寝台幅52cmを踏襲した20系客車と異なり、
B寝台車のベッド幅を581・583系電車で採用したのと同様の70cmと大型化し、
またユニット方式で内装を製造して車内に取り付ける形を初めて採用した。
また、寝台車のベッドの収納などを省力化するため、
中段寝台の自動昇降装置を初めて取り付けた。
形式はB寝台車のオハネ14形・スハネフ14形、
A寝台車のオロネ14形、食堂車のオシ14形が用意された。
A寝台車については、「プルマンタイプ」の開放式寝台車のみが製造された。
食堂車については、電車・気動車の食堂車と、
ほぼ共通の仕様となってコストダウンが図られた。
合計188両が1971年から翌年にかけて製造されている。
まず、1971年に急行「瀬戸(下り)2号・(上り)1号」に、
試作車のオハネ14 1 - 7とスハネフ14 1 - 3が連結され、
試験的に運行を開始した。
同列車では他の従来型客車と連結する必要があったため、
試作車は蒸気暖房(SG)管と電気暖房用引通し線を新製時より搭載している。
1972年3月ダイヤ改正で寝台特急「さくら」・「みずほ」
「あさかぜ(下り)2号・(上り)3号」の3往復で運用が開始された。
その際の編成はこちらを参照されたい。
しかし1972年(昭和47年)に発生した北陸トンネル火災事故を機に、
火元となる可能性のある電源エンジンを客室の直下に置く、
分散電源方式は防火安全対策上問題があるとされ、
本形式の製造は一旦中止され、
以後の増備は集中電源方式の24系客車に移行した。
1980年代から1990年代にかけてB寝台車の2段寝台化が行われたが、
需給関係との兼ね合いもあり、全車には及ばなかった。
2段化されなかった車両は急行列車や波動輸送用に使われたほか、
JR西日本管轄であった「出雲3・2号」に廉価サービスの一環として、
1989年(平成元年)から3段B寝台車を1両連結する措置がとられ、
同列車が1998年(平成10年)に電車化されるまで続けられた。
東日本旅客鉄道(JR東日本)へは、
「さくら・みずほ」「北陸」「能登」用の計69両が引き継がれた。
「みずほ」の廃止と「さくら」の移管、
「能登」の電車化により余剰車が廃止され、
「北陸」用のみが運用されていたが、
2010年3月の列車廃止に伴い、運用が消滅した。
画像番号IMG 0350.JPGの画像は、
スハネフ14−27
新製落成日、1972(昭和47)年7月5日、新製配置、品川、製造、日本車両
転属日、1975(昭和50)年3月10日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月30日、転属配置先、青森
転属日、1982(昭和57)年11月15日、転属配置先、秋田
二段寝台化改造
改造施行日、1983(昭和58)年5月31日、改造工、土崎工場
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、青森
廃車日、2015(平成27)年11月2日、青森
スハネフ14 1〜54
客車の冷暖房用などのサービス電源を、
床下のディーゼル発電機でまかなう「分散電源方式」を、
初めて採用した12系客車をベースとし、
同じく分散電源方式を採用しつつ、
オハネ14形0番代とともに新製されたグループで、
1971〜1972(昭和46〜47)年に新潟鉄工所、富士重工業、
日本車輌で54両製造された(スハネフ14 1〜3は先行試作車)。
これまでの20系客車のように電源車を連結する集中電源方式と異なり、
客車自体で冷暖房などのサービス用電源を、
供給できる発電装置を床下に搭載し、
分割併合運転に対応できるようになっている(分散電源方式)。
発電装置は自車含め5両を給電可能なディーゼル機関、
DMF15HS-G(230PS/1800rpm)と発電機 DM82(180kVA)を、
組み合わせたものとなっている。
定員30名。
画像番号IMG 0352.JPGの画像は、
オハネ14−82
新製落成日、1972(昭和47)年9月20日、新製配置、向日町、製造、富士重工
転属日、1972(昭和47)年9月30日、転属配置先、品川
転属日、1975(昭和50)年3月10日、転属配置先、早岐
転属日、1978(昭和53)年、転属配置先、尾久
二段寝台化改造
改造施行日、1985(昭和60)年9月5日、改造工、大宮工場
廃車日、2010(平成22)年9月6日、尾久
「北陸」用改造車
2010年3月13日のダイヤ改正で「北陸」が廃止されたため、いずれも使用されていない。
画像番号IMG 0358.JPGの画像は、
オロネ14−702
製造時形式車番、オロネ14−13
新製落成日、1972(昭和47)年8月28日、新製配置、向日町、製造、日本車両
転属日、1974(昭和49)年、転属配置先、早岐
転属日、1978(昭和53)年、転属配置先、尾久
改造後、オロネ14−702
改造施行日、1989(平成元)年2月25日、改造工、大宮工場
配置日、1989(平成元)年3月、配置先、尾久
廃車日、2013(平成25)年6月1日、尾久
オロネ14-701〜
1989年に、比較的少人数のビジネス利用の多い「北陸」を個室化することになり、
スハネ14形とともにオロネ14形を、
1人用A個室寝台(シングルDX)化し登場した車両である。
1人用個室をまくらぎ方向に11室備えた。
個室には収納式の洗面台やAV装置をそなえるが、シャワー室はない。
画像番号IMG 0354.JPGの画像は、
スハネ14−702
製造時形式車番、オハネ14−97
新製落成日、1972(昭和47)年7月28日、新製配置、向日町、製造、富士重工
転属日、1972(昭和47)年9月30日、転属配置先、品川
転属日、1974(昭和49)年3月10日、転属配置先、早岐
転属日、1975(昭和50)年3月10日、転属配置先、品川
二段寝台化改造
改造施行日、1985(昭和60)年3月13日、改造工、大宮工場
改造後、スハネ14−702
改造施行日、1988(昭和63)年2月4日、改造工、大宮工場
配置日、1989(平成元)年3月、配置先、尾久
廃車日、2013(平成25)年6月1日、尾久
スハネ14-701〜
オロネ14形700番台と同じく「北陸」の個室化に伴い登場した、
1人用B個室寝台(ソロ)車両。
1人用個室14室とシャワー室を備える。
定員14名。
画像番号IMG 0356.JPGの画像は、
スロネ14−758
製造時形式車番、オハネ14−99
新製落成日、1972(昭和47)年7月28日、新製配置、向日町、製造、富士重工
転属日、1972(昭和47)年9月30日、転属配置先、早岐
転属日、1974(昭和49)年9月30日、転属配置先、品川
二段寝台化改造
改造施行日、1985(昭和60)年7月20日、改造工、大宮工場
改造後、スロネ14−758
改造施行日、1990(平成2)年4月20日、改造工、大宮工場
配置日、1990(平成2)年4月20日、配置先、尾久
廃車日、2014(平成26)年1月29日、尾久
スハネ14-751〜
オロネ14形700番台と同じく「北陸」の個室化に伴い登場した、
1人用B個室寝台(ソロ)車両。
1人用個室20室を備える
シャワー室はない。
定員20名。
24系24形寝台車
日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した寝台客車である。
1973年から1980年にかけて量産され、
21世紀初頭の現在でも日本の寝台特急列車
(いわゆるブルートレイン)の主力車両となっている。
1980年代中期以降、改造個室寝台車の開発や他の系列からの編入改造などで、
多彩なバリエーションが生じている。
1973年に製造された初期のタイプの呼称。
A寝台車・B寝台車・食堂車については、14系の設計をそのまま踏襲している。
なお、車内設備は基本的には14系と同等ではあるものの、
寝台の枠をFRPからアルミに変更するなど難燃化が徹底している。
翌1974年に製造を24系25形へ移行したため、これら24形グループの発注は1回だけで打ち切られ、
製造両数は118両にとどまった。
A寝台車は14系のA寝台車と同様の開放形プルマン式である。
B寝台車は当初3段式寝台であったが、
1983年から1984年にかけて上段寝台を撤去して中段寝台を跳ね上げ、
これを固定して上段寝台とする方法で全車が25形と同様の2段式に改造されている。
新製配置は大阪鉄道管理局向日町運転所
(後の京都総合運転所、現・吹田総合車両所京都支所)で、
「あかつき」や「彗星」に使用されていた。
1975年3月のダイヤ改正で、一部を残し東京南鉄道管理局
品川客車区(後の品川運転所、現・東京総合車両センター田町センター)に転属し、
「はやぶさ」「富士」「出雲」で使用されたが、
翌1976年10月のダイヤ改正で盛岡鉄道管理局青森運転所(現・青森車両センター)へ再転属し、
「ゆうづる」「日本海」「あけぼの」「出羽」「鳥海」で使用されるようになる。
国鉄末期の1980年代中頃から運用する列車は漸減し、
「あけぼの」のみで使用されていた。
2014年(平成26年)の3月で「あけぼの」が定期運行が終了となり、
2015年1月「あけぼの」冬期以降の臨時列車の運行設定はなく、
運用する列車はなくなっている。
オハネフ24形
24系の基本形式に属する3段式B寝台緩急車。
画像番号IMG 0364.JPGの画像は、
オハネフ24−12
新製落成日、1973(昭和48)年8月31日、新製配置、向日町、製造、富士重工
転属日、1974(昭和49)年3月10日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月10日、転属配置先、青森
二段寝台化改造
改造施行日、1983(昭和58)年6月6日、改造工、土崎工場
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、青森
転属日、1989(平成元)年3月11日、転属配置先、尾久
転属日、1999(平成11)年12月3日、転属配置先、青森
廃車日、2015(平成27)年4月3日、青森
画像番号IMG 0366.JPGの画像は、
オハネフ24−27
新製落成日、1973(昭和48)年9月14日、新製配置、向日町、製造、日本車輌
転属日、1974(昭和49)年3月10日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月10日、転属配置先、青森
転属日、1982(昭和57)年11月15日、転属配置先、秋田
二段寝台化改造
改造施行日、1983(昭和58)年5月31日、改造工、土崎工場
転属日、1988(昭和63)年3月13日、転属配置先、青森
廃車日、2015(平成27)年11月2日、青森
0番台 (1 - 27)
1973年製造。
定員は新製時45名・2段化改造後は30名。
車体形状はスハネフ14形に準じた構造である。
16 - 18は1977年(昭和52年)、
床下に電源エンジンと発電機を搭載して14系に編入され、
スハネフ14 101 - 103となった。
定員30名。
オハネ24形
24系の基本形式に属する3段式B寝台車。
画像番号DSC 0036.JPGの画像は、
オハネ24−20
新製落成日、1973(昭和48)年9月22日、新製配置、向日町、製造、新潟鉄工所
転属日、1975(昭和50)年3月1日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月30日、転属配置先、青森
二段寝台化改造
改造施行日、1983(昭和58)年2月17日、改造工、土崎工場
廃車日、2015(平成27)年11月9日、青森
0番台 (1 - 67)
新製のB寝台車で1973年製造。
定員は新製時48名・2段化改造後
車体はオハネ14形に準じる。
定員32名。
オロネ24 1〜9
開放式2段式A寝台車で、1973(昭和48)年に9両が新製された。
オロネ14形を基本とし、難燃化対策等がなされている。
外観はオロネ14形0番代とほぼ同様。
定員28名。
画像番号DSC 0035.JPGの画像は、
オロネ24−2
新製落成日、1973(昭和48)年8月28日、新製配置、向日町、製造、日本車両
転属日、1975(昭和50)年3月1日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月30日、転属配置先、青森
廃車日、2012(平成24)年9月8日、青森
画像番号IMGP1246.JPGの画像は、
オロネ24−4
新製落成日、1973(昭和48)年8月28日、新製配置、向日町、製造、日本車両
転属日、1975(昭和50)年3月1日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月30日、転属配置先、青森
廃車日、2013(平成25)年3月4日、青森
24系25形
1973年度下期から製造された、24形のマイナーチェンジ形式である。
製造当時、間近に控えていた山陽新幹線岡山駅 - 博多駅間の延伸開業によって、
寝台特急の利用客が減少することを見越して、定員を減らし居住性を改善するため、
B寝台車がそれまでの3段式寝台から2段式寝台に設計変更された。1975年(昭和50年)、
鉄道友の会より第15回ローレル賞を受賞した。
1974年(昭和49年)4月に「あかつき」と「彗星」の一部に初めて投入、
その後徐々に3段式B寝台を淘汰していく。
なお、2段寝台化による定員減を少しでも抑えるべく、トイレの配置を一区画縦にし、
更衣室も撤廃して1列(2名分)のスペースを捻出し、
オハネ24形とオハネ25形を比較した場合で1両当り1列多い17列の配置にするという
苦肉の策もとられた。外観上も24形が白帯(クリーム10号)塗装なのに対し、
塗装工程省力化の見地から、25形は製造当初よりステンレス帯となった。
製造時期によりマイナーチェンジが何度か行われており、
車体形状など細かなバリエーションが存在する。
また定員が減ったため、冷房装置の能力も若干落とされ(AU77形、10000kcal/h×2台)、
車内の天井高さに余裕ができたことから空調ダクトが24形の廊下側から中央へ移動している。
火事対策は、煙感知器がオハネ25形の廊下、換気口近くと便所近くに設置された。
オロネ25形については個室の天井に熱感知器が取り付けられている。
24系25形という名称は、オハネ25形・オハネフ25形の
2段開放式B寝台車を従来の3段式の24系と区別するために便宜的につけられたものであり、
24系25形登場後もカニ24形・スシ24形・オハ24形など形式番号24の車両が登場している。
当然のことながら、ブレーキやサービス電源等の基本的なシステムは両者に差異はない。
国鉄末期の1987年(昭和62年)、
「あさかぜ1・4号」に使用されている客車に対して、
アコモデーション改善(グレードアップ改造)が、
実施されたことに伴い帯が金色に変更され、
従来の位置に加え屋根下にも1本追加された。
1988年(昭和63年)以降に「北斗星」向け改造が施工された車両も金帯となった。
2013年の時点で、運用に就いていた24系25形は、
「北斗星」・「トワイライトエクスプレス」・「あけぼの」の
北海道・東北方面への列車のみとなっていた。
2014年3月には「あけぼの」が定期運用終了となり臨時運用となるが、
2014年12月 - 2015年1月の臨時列車を最後に「あけぼの」の臨時運用が終了している。
同年3月には「北斗星」・「トワイライトエクスプレス」が廃止となって定期運用は無くなった。
急行「はまなす」に14系との混結改造を施したオハネ25形7両のみが使用されていた。
画像番号IMG 0372.JPGの画像は、
オハネ25−220(元あさかぜ仕様)
新製落成日、1977(昭和52)年1月28日、新製配置、品川、製造、富士重工
転属日、1994(平成6)年12月6日、転属配置先、青森
廃車日、2015(平成27)年11月16日、青森
オハネ25形100番台 (101 - 246)
省力化のため、上段寝台を固定化した車両。
そのため寝台側の窓の上下寸法が0番台と比べ小さくなっている。
定員34名。
画像番号IMG 0374.JPGの画像は、
オハネフ25−117(元あさかぜ仕様)
新製落成日、1976(昭和51)年9月24日、新製配置、品川、製造、新潟鉄工所
転属日、1994(平成6)年12月6日、転属配置先、青森
廃車日、2015(平成27)年11月9日、青森
オハネフ25形100番台 (101 - 157)
1976年から1977年にかけて製造された。
上段寝台を固定式とし、寝台側の窓の上下寸法が小さくなった。
車掌室側の連結面が切妻となり、
常に車掌室を電源車と反対方向に向けて編成を組むように設計され、
方向転換は不可能となった。
定員32名。
画像番号IMG 0376.JPGの画像は、
オハネ24−552
製造時形式車番、オハネ24−53
新製落成日、1973(昭和48)年9月3日、新製配置、向日町、製造、日本車両
転属日、1974(昭和49)年3月10日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月10日、転属配置先、青森
転属日、1983(昭和58)年、秋田
転属日、1987(昭和62)年、青森
二段寝台化改造
改造施行日、1983(昭和58)年1月29日、改造工、盛岡工場
改造後、オハネ24−552
改造施行日、1991(平成3)年2月4日、改造工、大宮工場
配置日、1991(平成3)年2月4日、配置先、青森
廃車日、2015(平成27)年9月30日、青森
画像番号IMG 0378.JPGの画像は、
オハネ24−555
製造時形式車番、オハネ24−42
新製落成日、1973(昭和48)年9月11日、新製配置、向日町、製造、富士重工
転属日、1974(昭和49)年3月10日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月10日、転属配置先、青森
転属日、1983(昭和58)年、秋田
転属日、1987(昭和62)年、青森
二段寝台化改造
改造施行日、1983(昭和58)年2月19日、改造工、土崎工場
改造後、オハネ24−553
改造施行日、1991(平成3)年7月18日、改造工、大宮工場
廃車日、2015(平成27)年4月3日、青森
オハネ24形550番台 (551 - 555)
1人用B個室寝台車「ソロ」で1991年、
「あけぼの」に使用するために改造された。
寝台は線路と並行に配置されている。
工期短縮のために、改造車種の屋根を一旦切って外し、
そこから一部配線や扉の取り付けを済ませた
個室のFRPユニットを車内に搬入するという手法で改造された。
定員28名。
画像番号IMG 0380.JPGの画像は、
スロネ24−551
製造時形式車番、オロネ24−1
新製落成日、1973(昭和48)年9月28日、新製配置、向日町、製造、富士重工
転属日、1974(昭和49)年3月10日、転属配置先、品川
転属日、1976(昭和51)年9月10日、転属配置先、青森
転属日、1980(昭和55)年、秋田
転属日、1987(昭和62)年、青森
改造後、スロネ24−551
改造施行日、1991(平成3)年1月29日、改造工、土崎工場
廃車日、2015(平成27)年4月3日、青森
スロネ24 550番台 (551 - 553)
1人用A個室寝台「シングルDX」車で1991年、
「あけぼの」の個室寝台化に伴いオロネ24形、
オハネ24形の改造により登場した。
定員11名。
カニ24形0番台
「あかつき」・「彗星」の24系25形化に伴い、
1974年 - 1976年にかけて日本車輌製造・富士重工業、
新潟鐵工所で25両 (1 - 25) が製造された。
機関室の発電機類はマヤ24形と同様であるが、
荷重3tの荷物室を設置しており、車体長は同形式より1.5m長い18.5mとなっている。
25形に属するため飾り帯がステンレスへ変更された。
後位妻面がマヤと同様に非貫通である。ただし2次車の9 - 25は、
妻面裾部のマイクロスカートが省略されている。台車はTR66B形。
国鉄時代は品川・向日町・宮原に配置され、
東京・関西 - 九州方面の寝台特急に投入された。
1987年から1988年にかけて9両が、
土崎工場(現・秋田総合車両センター)で、
酷寒地向けの500番台(北斗星用)に改造された。
2012年現在は15両が在籍し青森・宮原・熊本に配置され、
「あけぼの」「トワイライトエクスプレス」で定期運用されている。
JR東日本では一部の車両で車体更新工事改造を行っており、
ディーゼル機関をDMF15Z-G形と発電機DM109形への換装、騒音対策、
車体のリニューアル工事を行っている。
JR九州に在籍する一部の車両は、列車名表示器周囲の白枠を省略したり、
妻面飾帯のうちの下段のものを裾部へ下げるなどの事例が見られる。
画像番号DSC 0040.JPGの画像は、
カニ24−23 白帯
新製落成日、1976(昭和51)年8月5日、新製配置、品川、製造、富士重工
転属日、1980(昭和55)年、秋田
転属日、1987(昭和62)年、青森
発電装置更新工事
改造施行日、1993(平成5)年12月2日、改造工、大宮工場
廃車日、2015(平成27)年11月16日、青森
カニ24形100番台
「あさかぜ」・「瀬戸」・「安芸」の24系25形化により増備されたグループで、
1977年と1980年に新潟鐵工所と富士重工業で16両(101 - 116) が製造された。
基本構造は0番台と同様だが、
東京発着の荷物取扱量増加に伴い荷物室の荷重が5tに変更されたため、
車体長が1m伸びて19.5mになっている。
後位妻面もこれまでの非貫通から切妻型貫通式に変更となり、
荷物室屋根部分も普通屋根に変更されている。
また、車両の両側への給電が可能な構造になった。
台車はTR66C形に変更された。
国鉄時代は品川・向日町・下関に配置され、
東京・関西 - 九州方面の寝台特急に投入された。
JR化後の1990年には2両が500番台へ改造されているが、
うち1両(カニ24 510)はカヤ27形へ再改造された。
画像番号IMG 0382.JPGの画像は、
カニ24−112(元あさかぜ仕様)
新製落成日、1977(昭和52)年12月19日、新製配置、品川、製造、新潟鉄工所
転属日、1994(平成6)年12月3日、転属配置先、尾久
発電装置更新工事
改造施行日、1994(平成6)年2月28日、改造工、大宮工場
転属日、2006(平成18)年4月11日、転属配置先、青森
廃車日、2015(平成27)年11月16日、青森