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キハ58系気動車
キハ58系気動車は、日本国有鉄道(国鉄)が1961年に開発した
急行形気動車(ディーゼル動車)である。
1969年まで大量に増備され、
1960年代から1980年代にかけて幹線・ローカル線を問わず、
日本全国で急行列車を中心に投入された。
1960年代に、蒸気機関車牽引列車を置き換え、
スピードアップと居住性改善を図る無煙化を目的に大量製造された。
幹線・ローカル線の別なく、日本全国に気動車急行列車網を完成させた車両群である。
1970年代以降は、幹線電化の著しい進展に伴い、
急行列車の電車化さらには特急列車への格上げが進められたことから、
気動車急行列車は徐々にその運用域を狭め、1980年代以降は、
ローカル線の普通列車用として多くが転用されている。
1987年の国鉄分割民営化時には総数の約2/3がJR各社に引き継がれ、
その多くは近郊形化改造やワンマン化改造を施した上で、
非電化ローカル線の普通列車に運用されたり、
座席のグレードアップを施して地方幹線の快速列車などに運用される一方、
一部の車両は「ジョイフルトレイン」と呼ばれる団体専用列車用に改造された。
しかし老朽化や後継形式の増備、及び赤字ローカル路線の廃止に伴って、
淘汰・廃車が進行し、最終増備車の製造から40年以上が経過した2011年時点では、
一般車は運用を終了し少数の波動用車両と保留車が残っているのみである。
一般に「広義のキハ58系」として扱われるのは、
北海道用の耐寒耐雪型「キハ56系」・信越本線用の
空気バネ台車装備車「キハ57系」・本州以南向けの
標準型である狭義の「キハ58系」の3系列である。
製造メーカーは、新潟鐵工所・富士重工業・日本車輌製造
帝國車輛工業・東急車輛製造の5社。
これらの広義のキハ58系全体の製造両数1,823両は、
日本のディーゼル動車としては史上最多で一時は、
国鉄在籍気動車の3割を占めたこともあった。
キハ58 1〜312
1961〜63(昭和36〜38)年に新製された。
駆動エンジン2基の普通車用車両。
先に登場した北海道向けキハ56形に準じているが、暖地向けのため、
客室側窓の高さが北海道向けより広くなっている。
水タンクが屋根上に取付けられている。
後に順次冷房化が実施された。
冷房化改造工事は全車に行き渡らず、非冷房の未改造施工車も存在した。
画像番号IMGP1078.JPGの画像は、
キハ58−202
新製落成日、1962(昭和37)年10月6日、新製配置、新潟、製造、日本車輌
転属日、1971(昭和46)年4月30日、転属配置先、水戸
転属日、1990(平成2)年3月10日、転属配置先、常陸大子
1991年4月にエンジンがコマツ製DMF11HZへ換装
転属日、1992(平成4)年3月11日、転属配置先、小牛田
廃車日、1997(平成9)年2月18日、小牛田
キハ58 1〜312
1961から1963年までに製造されたグループ。
水タンクは屋根上に取付けられている。
小牛田車 コマツ製DMF11HZへ換装
新津車 カミンズ製DMF14HZへ換装
登場時原形車 定員84名
車両更新工事施工車セミクロスシート改造
車端部座席のロングシート化 定員139名
回転式リクライニングシート車 定員60名。
アコモデーション改善車
「よねしろ」「月山」などの優等列車運用充当車両に実施。
通常の更新工事とは別に座席をリクライニングシートへ交換したほか、
側面の行先表示に電動式方向幕を搭載するなどの施工を行った。
画像番号IMGP1030.JPGの画像は、
キハ58−308(よねしろ・月山色)
新製落成日、1963(昭和38)年2月11日、新製配置、長野、製造、日本車輌
転属日、1966(昭和41)年6月6日、転属配置先、新潟
転属日、1966(昭和41)年9月27日、転属配置先、長野
転属日、1969(昭和44)年度、転属配置先、美濃太田
転属日、1971(昭和46)年度、転属配置先、長野
転属日、1973(昭和48)年7月12日、転属配置先、米子
転属日、1976(昭和51)年3月1日、転属配置先、岡山
転属日、1985(昭和60)年3月27日、転属配置先、中込
転属日、1991(平成3)年7月3日、転属配置先、新庄
転属日、1999(平成11)年3月15日、転属配置先、小牛田
機関更新・車体更新・アコモ改造等徹底的な体質改善工事が施工
コマツ製DMF11HZへ換装
廃車日、2000(平成12)年5月1日、小牛田
長大編成対応車
キハ58、401 - 799・1000 - 1052
キハ28形、301 - 494
国鉄の気動車は、KE53形ジャンパ連結器2基で直流24V電源による制御と、
空気圧作動の自動ブレーキを共通装備としていた。
このため、長大編成を組むと電圧および空気圧の低下で、
先頭運転台から後方車両までの制御の応答性・確実性に問題が生じた。
長大編成を頻繁に組む本系列も当初はその例に漏れず、
最大11両17エンジンまでに編成を制限されるため問題は深刻であった。
そこで1963年度以降に製造されたグループからは、以下に示す仕様変更を行った。
各車の自動ブレーキA動作弁直近に応答性能が優れる電磁給排弁を付加。
運転台のM23系ブレーキ制御弁も電磁給排弁への指令を可能としたME23B弁とし、
運転台付車両はDAE1、運転台のないキロはDAE2電磁自動空気ブレーキに仕様変更。
DAEブレーキ化のために回路制御用KE67形ジャンパ連結器による引き通しを増設。
また従来からの制御回路にも中継装置を設置し、
引き通し線の電圧降下・制御電流の容量制限
ブレーキ作動時間の遅延に対する改良を実施。
その結果、最大15両23エンジンまで制御可能となり新規の番号区分が行われた。
後に順次冷房化が実施された。
冷房化改造工事は全車に行き渡らず、非冷房の未改造施工車も存在した。
キハ28形、定員84名、キハ58形、定員84名(オリジナル車)
キハ58 401〜799、1000〜1052
1963〜67(昭和38〜42)年に新製された長大編成対応車で、
キハ28 301〜と同様に引通し線の電圧降下、
制御電流の容量制限、ブレーキ作動時間の遅延に対する改善がなされ、
車体は客用扉下部に小窓が新設されるなどの変更点がある。
画像番号IMG 7312.JPGの画像は、
キハ58−414(国鉄修学旅行色)
新製落成日、1963(昭和38)年6月6日、新製配置、松本、製造、新潟鉄工所
転属日、1969(昭和44)年度、転属配置先、長野
1969(昭和44)年度、転属配置先、中込(小海)
転属日、1970(昭和45)年度、転属配置先、名古屋
転属日、1978(昭和53)年10月2日、転属配置先、美濃太田
転属日、1984(昭和59)年2月9日、転属配置先、長野
転属日、1991(平成3)年10月4日、転属配置先、新庄
転属日、1997(平成9)年3月12日、転属配置先、小牛田
機関更新・車体更新・アコモ改造等徹底的な体質改善工事施工
コマツ製DMF11HZへ交換済み
廃車日、2009(平成21)年1月14日、小牛田
画像番号FH107.JPGの画像は、
キハ58−578(仙台色)
新製落成日、1964(昭和39)年12月25日、新製配置 水戸、製造、帝國車輛
新製落成日、1963(昭和38)年6月6日、新製配置、松本、製造、新潟鉄工所
転属日、1969(昭和44)年度、転属配置先、長野
1969(昭和44)年度、転属配置先、中込(小海)
転属日、1970(昭和45)年度、転属配置先、名古屋
転属日、1978(昭和53)年10月2日、転属配置先、美濃太田
転属日、1984(昭和59)年2月9日、転属配置先、長野
転属日、1991(平成3)年10月4日、転属配置先、新庄
転属日、1997(平成9)年3月12日、転属配置先、小牛田
機関更新・車体更新・アコモ改造等徹底的な体質改善工事が施工
コマツ製DMF11HZへ交換済み
廃車日、2009(平成21)年1月14日、小牛田
画像番号IMGP1133.JPGの画像は、
キハ58−636 旧新潟色(青ベースの塗装)
新製落成日、1965(昭和40)年6月1日、新製配置、新潟、製造、新潟鉄工所
エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済
廃車日、1998(平成10)年9月30日、新津
画像番号IMG 3341.JPGの画像は、
キハ58−677 旧新潟色(青ベースの塗装)
新製落成日、1965(昭和40)年12月10日、新製配置、米子、製造、富士重工
転属日、1972(昭和47)年度、転属配置先、鳥取
転属日、1985(昭和60)年5月23日、転属配置先、中込(小海)
転属日、1991(平成3)年11月30日、転属配置先、新津
廃車日、2009(平成21)年6月30日、新津
画像番号IMGP1029.JPGの画像は、
キハ58−1010 旧新潟色(青ベースの塗装)
新製落成日、1966(昭和41)年10月10日、新製配置、新潟、製造、新潟鉄工所
1969年度中に冷房化
1990(平成2)年12月度にカミンズ製DMF14HZ機関へ換装
転属日、1993(平成5)年12月1日、転属配置先、長野
転属日、1997(平成9)年8月27日、転属配置先、新庄
転属日、1999(平成11)年3月17日、転属配置先、小牛田
廃車日、2000(平成12)年5月1日、小牛田
画像番号IMG 8709.JPGの画像は、
キハ58−1022(国鉄急行色)
新製落成日、1967(昭和42)年3月16日、新製配置、長野、製造、富士重工
転属日、1991(平成3)年4月25日、転属配置先、新潟
冷房改造化は不明
車両更新工事施工
車両更新の際にカミンズ製DMF14HZへ換装
廃車日、2010(平成22)年1月30日、新津
キハ58 401〜799、1000〜1052
長大編成対応車
1963年度以降に製造されたグループ
最大15両23エンジンまで制御可能、
登場時原形車 定員84名
小牛田車 コマツ製DMF11HZへ換装
新津車 カミンズ製DMF14HZへ換装
車両更新工事施工車セミクロスシート改造
車端部座席のロングシート化 定員139名
回転式リクライニングシート車 定員60名。
末期増備車グループ
1968年から1969年までに製造されたグループで、
走行性能に変化はないが車体のマイナーチェンジなどの以下の改良が行われた。
冷房化を考慮し屋根高さを低下。
運転台前面窓をパノラミックウインドウに変更。
運転台下部に排障器(スカート)を採用。
この結果、前面の印象は1966年から増備されていた
近郊形気動車のキハ45系に追随する形になったため、
従来形に比べて大きく変わった。
しかし、DMH17系エンジンを核とした構成の陳腐化や
電化の進展による電車特急列車の増発で
気動車急行列車の減少が予測されたため、
同時期の他の気動車と同様に製造両数は少なく抑えられた。
また、帝國車輛工業と東急車輛製造は製造を担当していない。
キハ58 1501〜1534
1968(昭和43)年に新製された寒地向けのモデルチェンジ車で、
1101〜と同様に冷房準備車として登場した。
しかし、大半の車両が非冷房のままであった。
画像番号FH140.JPGの画像は、
キハ58−1527(仙台色)
新製落成日、1968(昭和43)年4月9日、新製配置、釧路、製造、新潟鉄工所
転属日、1968(昭和43)年9月14日、転属配置先、秋田
1973〜1974年頃に冷房改造化
転属日、1985(昭和60)年3月14日、転属配置先、盛岡
転属日、1988(昭和63)年3月16日、転属配置先、山形
1990年11月度にコマツ製DMF11HZへ換装
車両更新工事施工
転属日、1991(平成3)年3月16日、転属配置先、小牛田
廃車日、2000(平成12)年5月1日、小牛田
1501〜1534
寒地向けマイナーチェンジ車。
パノラミックウインド採用、冷房工事準備車。
コマツ製DMF11HZ機関へ換装
登場時原形車 定員84名
車両更新工事施工車セミクロスシート改造
車端部座席のロングシート化 定員139名
キハ28形2000番台(4VK冷房用発電装置搭載車)
上述の状況から、新たに自車を含めて3両分の冷房電源の供給が可能となる
4VK冷房用発電装置が開発された。
機関 - ダイハツ工業製V型8気筒4VK形ディーゼルエンジン(90PS)
発電機 - DM83形発電機
発電能力 - 三相交流440V・70KVA
本装置は、走行用エンジン2基搭載のキハ58と、
キロ58には搭載不可能なために一部のキハ28・キロ28に搭載され、
搭載車は原番号+2000の車番に区分された。
ただし、以下の例外がある。
キハ28 1〜203
北海道以外の急行用車両として製造された車両で、
1968年にはモデルチェンジが行われ、
前面窓がパノラミックウインドウになり、
当初から冷房を念頭においた屋根上配置となりました。
本州用キハの1機関搭載車で、1961(昭和36)年から新製された。
給電が可能な4VK発電装置を搭載する改造が行われたものについては、
原番号+2000に改番された。
アコモデーション改善車
「よねしろ」「月山」などの優等列車運用充当車両に実施。
通常の更新工事とは別に座席をリクライニングシートへ交換したほか、
側面の行先表示に電動式方向幕を搭載するなどの施工を行った。
画像番号IMG 7310.JPGの画像は、
キハ28−2174(国鉄修学旅行色)
製造時形式車番、キハ28-174、
新製落成日、1963(昭和38)年2月18日、新製配置、秋田、製造、東急車輌
転属日、1967(昭和42)年度、転属配置先、盛岡
冷房化+4DQ(4VK)電源装置搭載改造
改造後、キハ28-2174
改造施行日、1972(昭和47)年7月15日、改造工、盛岡工場
転属日、1972(昭和47)年度、転属配置先、青森
転属日、1973(昭和48)年10月1日、転属配置先、秋田
転属日、1982(昭和57)年11月20日、転属配置先、山形
転属日、1991(平成3)年3月16日、転属配置先、新庄
転属日、1993(平成5)年12月1日、転属配置先、小牛田
廃車日、2009(平成21)年1月14日、小牛田
キハ28 1〜203
駆動エンジン1基の普通車用車両。
4VK発電装置搭載改造車は、原番号+2000に改番。
小牛田車 コマツ製DMF11HZへ換装
新津車 カミンズ製DMF14HZへ換装
機関 ダイハツ製V型8気筒4VK形ディーゼルエンジン(連続定格90 PS)
発電機 DM83形発電機(2極)
発電能力 三相交流400 V・50 Hz・70 kVA
登場時原形車 定員84名
車両更新工事施工車セミクロスシート改造
車端部座席のロングシート化 定員139名
回転式リクライニングシート車 定員60名。
キハ28 301〜494
1963〜67(昭和38〜42)年に新製された長大編成対応車で、
駆動エンジン1基の普通車用車両。
引通し線の電圧降下、制御電流の容量制限、
ブレーキ作動時間の遅延に対する改善がなされている。
そのほか客用扉下部に小窓が取付けられ、
出入台に通風器が増設されている。
4VK発電装置搭載改造車は、原番号+2000に改番。
画像番号IMG 8710.JPGの画像は、
キハ28−2371(国鉄急行色)
製造時形式車番、キハ28-371、
新製落成日、1964(昭和39)年12月14日、新製配置、水戸、製造、新潟鉄工所
冷房化+4DQ(4VK)電源装置搭載改造
改造後、キハ28-2371
改造施行日、1972(昭和47)年7月27日、改造工、土崎工場
転属日、1986(昭和61)年11月、転属配置先、真岡
転属日、1988(昭和63)年度、転属配置先、水戸
転属日、1990(平成2)年3月10日、転属配置先、常陸大子
転属日、1991(平成3)年4月2日、転属配置先、新潟
1991年12月度に機関換装・車両更新を施工
エンジンはカミンズ製DMF14HZへ換装
廃車日、2010(平成22)年1月30日、新津
画像番号IMGP1232.JPGの画像は、
キハ28−2380(仙台色)
製造時形式車番、キハ28-380、
新製落成日、1964(昭和39)年12月3日、新製配置、水戸、製造、富士重工
冷房化+4DQ(4VK)電源装置搭載改造
改造後、キハ28-2380
改造施行日、1972(昭和47)年4月20日、改造工、大宮工場
転属日、1986(昭和61)年度、転属配置先、真岡
転属日、1988(昭和63)年3月16日、転属配置先、山形
転属日、1991(平成3)年3月16日、転属配置先、新庄
転属日、1993(平成5)年12月1日、転属配置先、小牛田
廃車日、2009(平成21)年1月14日、小牛田
キハ28 301〜494
最大15両23エンジンまでの制御可能な長大編成対応車。
駆動エンジン1基
4VK発電装置搭載改造車は、原番号+2000に改番。
小牛田車 コマツ製DMF11HZへ換装
新津車 カミンズ製DMF14HZへ換装
機関 ダイハツ製V型8気筒4VK形ディーゼルエンジン(連続定格90 PS)
発電機 DM83形発電機(2極)
発電能力 三相交流400 V・50 Hz・70 kVA
登場時原形車 定員84名
車両更新工事施工車セミクロスシート改造
車端部座席のロングシート化 定員139名
回転式リクライニングシート車 定員60名。
寒地向けキハ28 1505 - 1510
中央本線用のキロ58が2エンジン車で、
4DQ発電装置を搭載することができないことから、
新造時から4VK発電装置が搭載された。
1971年に自車も冷房化されたため2505 - 2510に改番。
キハ28 501〜504・1505〜1510
キハ28 2506
寒地向けモデルチェンジ車で、1968(昭和43)年に新製された。
前面窓がパノラミックウィンドウとなリ、スカートが取付けられた。
さらに冷房準備工事がなされている。
1505〜1510はキロ58形への電源供給のため4Vk発電装置付きで、
1971(昭和46)年度に2505〜2510に改番された。
画像番号IMGP1031.JPGの画像は、
キハ28−2506 旧新潟色(青ベースの塗装)
製造時形式車番、キハ28-1506、
新製落成日、1968(昭和43)年3月30日、新製配置、松本、製造、富士重工
改番後、キハ28-2506 1971(昭和46)年
転属日、1982(昭和57)年11月21日、転属配置先、新潟
転属日、1993(平成5)年12月1日、転属配置先、小牛田
廃車日、2007(平成21)年4月12日、小牛田
キハ28 501〜504・1505〜1510
キハ28 2506
カミンズ製DMF14HZへ換装
機関 ダイハツ製V型8気筒4VK形ディーゼルエンジン(連続定格90 PS)
発電機 DM83形発電機(2極)
発電能力 三相交流400 V・50 Hz・70 kVA
登場時原形車 定員84名
キハ45系気動車
日本国有鉄道(国鉄)が1966年(昭和41年)から製造した一般形気動車
(近郊形気動車に分類している資料もある。
カテゴリについての詳細は後述)。
片運転台車の淘汰が進んだ時期にはキハ23系とも呼ばれた。
これは、国鉄車両称号規程に規定された制式の系列呼称ではないが、
同一の設計思想により設計・製造された気動車の形式群を便宜的に総称したものである。
1960年代中期、国鉄の普通列車用気動車は、地方線区向けにキハ20系が、
大都市近郊線向けはキハ35系がそれぞれ大量に増備されていた。
しかし、キハ20系は扉が片開き式で扉幅が850mmと狭いため、
ラッシュ時の客扱いに難があり、
キハ35系は3扉オールロングシートという通勤輸送に特化した構造であるため、
通勤時間帯以外の使用時に設備が乗客の要求する水準を満たせないという難があった。
1966年(昭和41年)から1969年(昭和44年)までに5形式が製造された
(製造を開始した昭和41年はまだキハ52が継続生産されていた)が、
電化の進捗に加えて戦前製機械式気動車の老朽化に伴う取替えが一巡したことなどで、
この時期には気動車の所要数をほぼ充足していたこともあり、
グループ全体で179両の製造にとどまった。
なお、本グループの落成に先立ち、
客車改造気動車のキハ40形(初代)・キハ45形(初代)がそれぞれ
キハ08形・キハ09形(2代)に改称されている。
キハ45形
1機関搭載の片運転台車で、
1966年(昭和41年)から1969年(昭和44年)にかけて暖地形の0番台74両、
寒地形の500番台22両、暖地形簡易郵便荷物車の600番台2両の
計98両が製造された本グループの基幹形式で、全国各地で使用された。
東日本旅客鉄道(JR東日本)に0番台11両・500番台14両の25両、
西日本旅客鉄道(JR西日本)に0番台30両・500番台8両の38両、
四国旅客鉄道(JR四国)に0番台24両、
九州旅客鉄道(JR九州)に0番台8両・600番台2両の10両、
計97両が承継されたが、非冷房に加えて片運転台車で運用上小回りが利かないこともあって、
民営化直後から急速に淘汰が進み、1995年(平成7年)に全廃となった。
※本形式のうち1967年(昭和42年)4月から5月にかけて製造された
32 - 36・42 - 61の25両は、製造直後、一時的に北海道に配置された。
これは夏季の観光客輸送など波動輸送に充当するためで、
函館・苗穂・旭川・池田・釧路に配置され、
シーズン終了後の1967年(昭和42年)秋に新潟や高松など、
道外の本来の配置予定区に転属している。
キハ45 1〜74
一般形の暖地向け片運転台車として製造されたグループで、
1966〜1969(昭和41〜44)年に日本車輌、新潟鉄工所、富士重工業で74両製造された。
キハ23形0番代と同様の車体構造で、室内はセミクロスシートとなっており、
出入口は2カ所設けられいる。後位には便所が設けられている。
機関は180PS(1,500rpm)のDMH17Hを1台搭載し、
台車はDT22C(TR51B)を使用している。
広島地区を中心に全国で使用されたが、
1995(平成7)年までに全車廃車となり形式消滅した。
機関はDMH17H、液体変速機はTC2AまたはDF115Aと、キハ58系と同様である。
画像番号IMGP1214.JPGの画像は、
キハ45−1(首都圏色)
新製落成日、1966(昭和41)年10月17日、新製配置、千葉、製造、日本車輌
転属日、1975(昭和50)年3月24日、転属配置先、水戸
転属日、1990(平成2)年3月10日、転属配置先、常陸大子
廃車日、1992(平成4)年5月1日、水郡線
画像番号IMGP1038.JPGの画像は、
キハ45−2(水郡色)
新製落成日、1966(昭和41)年10月17日、新製配置、千葉、製造、日本車輌
転属日、1975(昭和50)年3月24日、転属配置先、水戸
転属日、1990(平成2)年3月10日、転属配置先、常陸大子
廃車日、1992(平成4)年5月1日、水郡線
キハ45 1〜74
一般形の暖地向け片運転台車として製造されたグループで、
エンジンはDMH17H原形
トイレ設置。
定員124名。
キハ45 501〜522
キハ45形の寒地向け車両として製造されたグループで、
1967〜69(昭和42〜44)年に新製された。
画像番号IMGP1039.JPGの画像は、
キハ45−504(首都圏色)
新製落成日、1967(昭和42)年10月21日、新製配置、小牛田、製造、新潟鉄工所
転属日、1986(昭和61)年3月12日、転属配置先、水戸
転属日、1990(平成2)年3月10日、転属配置先、常陸大子
廃車日、1992(平成4)年5月1日、水郡線
キハ45 501〜522
一般形の寒地向け片運転台車として製造されたグループで、
エンジンはDMH17H原形
トイレ設置。
定員124名。
キハ23形500番台
主に東北地方を対象とした寒地仕様車である。
1台機関搭載の両運転台車で、
1966年(昭和41年)から1969年(昭和44年)にかけて暖地形の0番台33両、
寒地形の500番台21両の計54両が製造された。
国鉄時代は最後まで1両も廃車となることなく、
JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の40両、
JR九州に0番台3両が承継された。
両運転台であることから、ワンマン改造や車両更新工事を施工されたものがあり、
比較的長く使用された。
2003年(平成15年)までJR西日本に残っていた520が本グループ最後の稼働車となった。
同じくJR西日本には1が廃車保留状態だったが、
前述の通り2009年(平成21年)6月10日付で廃車され、全廃された。
キハ23 501〜521
寒地向けに製造されたグループで、
1967〜1969(昭和42〜44)年に富士重工業、日本車輌、新潟鉄工所で21両製造された。
車体構造はキハ23形0番代を基本としているが、床下機器カバーが取り付けられ、
温水管による機器類の保温対策などが施されている。
主に東北、山陰地区に新製配置され使用された。
画像番号FH902.JPGの画像は、
キハ23−517(仙台色)
新製落成日、1969(昭和44)年1月24日、新製配置、郡山、製造、新潟鉄工所
転属日、1986(昭和61)年3月1日、転属配置先、一ノ関
転属日、1991(平成3)年11月5日、転属配置先、小牛田
機関換装・車両更新を施工され
エンジンはコマツ製DMF11HZへ換装
廃車日、2000(平成12)年1月15日、小牛田
キハ23 501〜521
寒地向けのに製造されたグループで、
エンジンはコマツ製DMF11HZへ換装
車両更新工事施工車
トイレ設置
定員116名。
キハ52形
勾配区間用の一般形気動車で、キハ20形の2基エンジン搭載形である。
国鉄の2基エンジン気動車としては最初の両運転台車であり、
急勾配のローカル線用車両として本州・四国・九州各地で重用された。
キハ20形に準じた両運転台、片開き2ドア、2段窓であるが、
エンジン、変速機、放熱器をそれぞれ2基搭載する必要から、
床下スペースの確保目的で、全長が1.3m長い車両限界一杯の21.3mとなり、
それに伴い、ドア間の2段窓の数もキハ20形の5個から6個に増えている。
それでもなお床下は手狭なため、
水タンクは床上(通路を挟んだ便所の反対側)に置かれた。
後期形(100番台)1962年から1966年に製造された。
キハ58形とキハ80形の好評を受け、騒音と振動の低減はもちろんのこと、
量産効果の向上(コスト低減)の見地からも2基エンジン車については、
すべて横形エンジンに統一されることになった。
水平シリンダー形のDMH17Hを搭載し、
床面点検蓋・車体中央壁面の排気管が廃止された。
それにともない、排気管が車体の中央部から車端寄りに移ったため、
0番台では排気管によって3個-3個に分かれていた客用扉間の窓が、
6個等間隔に並ぶようになった。
さらに、勾配線区での使用実績に基づきエンジンブレーキ機能が追加されている。
末期にはキハ22形同様、外ハメ式の尾灯や、ハニカム構造の客扉が採用された。
室内照明は蛍光灯で、キハ20系の中ではキハ22形と並んで例外的な温水暖房車。
スタイルと旅客設備を除いたメカニズム面では、
急行形気動車のキハ58形との共通点が多い。
100番台は静粛性に対する期待から、寝台気動車の試験に供され、
注目を集めたが、音振(おとしん)や変速ショックの点で採用には至らなかった。
その後も日本では寝台気動車が実現した例はなかったが、
2017年から運行開始する「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が、
初の寝台気動車として登場することとなった。
2010年3月12日には、大糸線で運用されていたJR西日本が保有する
キハ20系気動車最後の3両の運用が終了し、
同年3月13日のダイヤ改正でキハ120形に置き換えられた。
これによってJR線上でのキハ20系列の定期運用が終了した。
2011年8月3日に最後まで在籍していた新津運輸区のキハ52形7両が、
廃車されたことでJRでは全車廃車、同時にキハ20系の系列消滅となった。
キハ20形は一般型気動車であり、
キハ22形を除いて定期の急行運用に就くことはまずなかったが、
本形式については、2基エンジンで強力なこと、単行運転が可能なことから、
只見線および会津線の急行「いなわしろ」として、
1982年6月23日の東北新幹線開業による列車自体の廃止時まで、長らく使用された。
この列車は気動車単行の急行で、なおかつ遜色急行であるとともに、
急行「あがの」「いわき」と併結する多層建て列車として異色の存在であった。
なお、この列車に専ら用いられたキハ52 128は首都圏色化されず、
同列車廃止後小牛田から、盛岡、米子と転属した後も、
1999年の廃車時まで国鉄一般色で残った。
キハ52 101〜156
2次車として製造されたグループで、
勾配区間用の両運転台の一般形気動車、
キハ20形の2基エンジン搭載形で強力型として登場しました。
国鉄の2基エンジン気動車としては最初の両運転台車であり、
急勾配のローカル線用車両として本州・四国・九州各地で重用された。
一部が新型エンジンへの換装と内装の更新改造を施され、
2000年代後半まで使用された。
画像番号IMG 8707.JPGの画像は、
キハ52−127(国鉄色)
新製落成日、1965(昭和40)年10月20日、新製配置、小牛田、製造、新潟鉄工所
転属日、1982(昭和57)年11月15日、転属配置先、郡山
転属日、1984(昭和59)年4月7日、転属配置先、盛岡
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、一ノ関
転属日、1991(平成3)年11月22日、転属配置先、長野
転属日、1998(平成10)年3月13日、転属配置先、新津
廃車日、2011(平成23)年8月3日、新津
キハ52 101〜156
1962年からの増備車で、両運転台車でキハ58系と同等のエンジンが装備された。
車両更新工事施工車
エンジンはカミンズ製DMF14HZへ換装
トイレ設置
定員88名。
キハ53形(両運転台化改造)
国鉄末期の1986年からJR化後の1988年にかけて、
5両のキハ58形が両運転台化改造された。
改造は、車体の後位を切断して廃車の運転台を接合する方式で施行され、
外観は富士急行から有田鉄道に譲渡されたキハ58003に似ているが、
窓配置に違いがある。
形式は、すでにキハ45系に存在していたキハ53形とされ、
既存車との重複を避けるため新区分番台が起こされた。
200番台
1987年に東北地区の増結用として土崎工場(現・秋田総合車両センター)で、
キハ58形非冷房車2両を改造、その際客室内にトイレを設置した。
小牛田運輸区に配置されて陸羽東線などで運用された後、
会津若松運輸区に転出。
只見線で運用され2000年に廃車となった。
キハ53 201・202
キハ58形を両運転台化改造しキハ53形に編入したグループで、
1987(昭和62)年に土崎工で2両改造された。
キハ56形またはキハ27形の先頭部(廃車発生品)を接合して、
さらに便所、水タンク(室内取り付け)を新設している。
1991年度に機関がコマツ製DMF11HZへ換装
キハ53−201(仙台色)
新製落成日、1966(昭和41)年5月10日、新製配置、釧路、製造、富士重工
製造時形式車番、キハ58-741、
転属日、1966(昭和41)年9月15日、転属配置先、小牛田
転属日、1985(昭和60)年3月14日、転属配置先、郡山
改造後、キハ53-201
改造施行日、1987(昭和62)年3月、改造工、郡山工場
改造後転属配置先、小牛田
転属日、1994(平成6)年12月17日、転属配置先、会津若松
廃車日、2000(平成12)年5月1日、会津若松
キハ53 201・202
キハ58形を両運転台化改造しキハ53形に編入したグループ、
1987(昭和62)年に土崎工で2両改造された。
エンジンはコマツ製DMF11HZへ換装
定員74名。
キハ30形、
日本国有鉄道(国鉄)が1961年(昭和36年)から製造した気動車である。
この呼称は、車両称号規程に則った制式のものではないが、
同一の設計思想によって製造された気動車を便宜的に総称したものである。
具体的には、キハ35形・キハ36形・キハ30形およびこれらの改造車を指す。
画像番号IMG 0740.JPGの画像は、
キハ30−98(国鉄一般色)
新製落成日、1966(昭和41)年10月28日、新製配置、高崎、製造、日本車輌
転属日、1996(平成8)年4月4日、転属配置先、木更津
JR化車体更新工事とカミンズ製DMF14HZエンジンへの換装が施工されている。
国鉄一般色に復元、2009(平成21)年7月1日、施工、郡山総合車両センター
廃車日、2013(平成25)年7月10日、木更津
2013(平成25)年7月10日、水島臨海鉄道へ譲渡
画像番号IMG 0742.JPGの画像は、
キハ30−100(国鉄一般色)
新製落成日、1966(昭和41)年10月28日、新製配置、亀山、製造、日本車輌
転属日、1979(昭和54)年12月24日、転属配置先、伊勢
転属日、1980(昭和55)年4月12日、転属配置先、八王子
転属日、1986(昭和61)年3月3日、転属配置先、茅ヶ崎
JR化後車体更新工事とカミンズ製DMF14HZエンジンへの換装が施工されている。
転属日、1991(平成3)年3月20日、転属配置先、木更津
国鉄一般色に復元、2009(平成21)年7月1日、施工、郡山総合車両センター
廃車日、2013(平成25)年7月10日、木更津
2013(平成25)年7月10日、水島臨海鉄道へ譲渡
キハ30-1〜100
キハ35系の両運転台形、
トイレなし
オールロングシートを備える。
定員128(座席56)名。
キハ37形
1983年(昭和58年)に日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車である。
老朽化した一般形気動車の置換用として新製された。
本線用のキハ40系に対し、地方交通線での運用を主目的とし、
かつ本線走行も可能な経済的車両として開発されたもので、
1983(昭和58)年に5両が新製された。
5両が製造され、1987年(昭和62年)の
国鉄分割民営化以降は東日本旅客鉄道(JR東日本)に3両が、
西日本旅客鉄道(JR西日本)に2両が承継された。
2021年現在は水島臨海鉄道がJR東日本からの譲受車3両を保有す
0番台
キハ37 1(新潟鐵工所), 2(富士重工業)便所あり
画像番号IMG 0736.JPGの画像は、
キハ37−2
新製落成日、1983(昭和58)年1月18日、新製配置、木更津、製造、富士重工
1998年(平成10年)2月 AU26を搭載し冷房改造
1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、
機関をカミンズ製DMF14HZへ順次換装
廃車日、2013(平成25)年7月10日、木更津
2013(平成25)年7月10日、水島臨海鉄道へ譲渡
キハ37-1〜2
片運転台車
機関カミンズ製DMF14HZ
AU26形冷房装置が搭載
トイレ付
オールロングシートを備える。
定員138(座席64)名。
1000番台
キハ37 1001(新潟鐵工所), 1002, 1003(富士重工業)
便所なしの1000番台が3両、新潟鐵工所および富士重工業で製造された。
画像番号IMG 0732.JPGの画像は、
キハ37−1002
新製落成日、1983(昭和58)年1月18日、新製配置、木更津、製造、富士重工
1998年(平成10年)3月 冷房改造 AU26を搭載し冷房改造
1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、
機関をカミンズ製DMF14HZへ順次換装
廃車日、2013(平成25)年7月10日、木更津
2013(平成25)年7月10日、水島臨海鉄道へ譲渡
画像番号IMG 0734.JPGの画像は、
キハ37−1003
新製落成日、1983(昭和58)年1月18日、新製配置、木更津、製造、富士重工
1998年(平成10年)3月 冷房改造 AU26を搭載し冷房改造
1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、
機関をカミンズ製DMF14HZへ順次換装
廃車日、2013(平成25)年7月10日、木更津
2013(平成25)年7月10日、水島臨海鉄道へ譲渡
キハ37-1001〜1003
片運転台車
機関カミンズ製DMF14HZ
AU26形冷房装置が搭載
トイレなし
オールロングシートを備える。
定員146(座席66)名。
キハ38形
老朽化したキハ35系の置換え用として、
1986・87(昭和61・62)年にキハ35形の台車・変速機を流用して車体を新製した改造車である。
車体は片運転台、両開き3扉で、
座席はロングシート(キハ38 1〜の便所正面のみ2人掛けのクロスシート)で、
腰掛は構造簡素化、軽量化を図ったバケットタイプのものとしている。
運転台はキハ37形と同様に高運転台となり、前面は上部を黒色とし、
前照灯と尾灯は185系特急形電車のようにFRPに収納している。
八高線で使用されていたキハ35形を車体更新した形式で、
1986年(昭和61年)から1987年にかけて7両が各地の国鉄工場で製造された。
車体は新造されたが、台車や変速機などの主要機器が流用されており、
キハ35形の改造名義となっている。
0番台
1-4の4両、便所付きの片運転台車、
キハ38 1はキハ35 152, キハ38 2はキハ35 161, キハ38 3はキハ35 513
キハ38 4はキハ35 515からの改造である。
画像番号IMG 0722.JPGの画像は、
キハ38−2
製造時形式車番、キハ35-161
新製落成日、1966(昭和41)年2月25日、新製配置、千葉、製造、富士重工
転属日、1975(昭和50)年5月31日、転属配置先、木更津
転属日、1975(昭和50)年10月1日、転属配置先、高崎
改造後、キハ38-2
改造施行日、1986(昭和61)年6月4日、改造工、大宮工場
転属日、1996(平成8)年5月29日、転属配置先、木更津
廃車日、2012(平成24)年12月20日、木更津
画像番号IMG 0724.JPGの画像は、
キハ38−4
製造時形式車番、キハ35-515
新製落成日、1965(昭和40)年9月10日、新製配置、新潟、製造、富士重工
転属日、1985(昭和60)年7月2日、転属配置先、八王子
転属日、1986(昭和61)年3月3日、転属配置先、茅ヶ崎
転属日、1986(昭和61)年10月14日、転属配置先、高崎
改造後、キハ38-4
改造施行日、1986(昭和61)年11月26日、改造工、大宮工場
転属日、1996(平成8)年6月17日、転属配置先、木更津
廃車日、2012(平成24)年12月20日、木更津
キハ38-1〜4
片運転台車
機関は新潟鐵工所製のDMF13HS
トイレ設置、
オールロングシートを備える。
定員124(座席54)名。
1000番台
1001-1003の3両。
便所無しの片運転台車。
キハ38 1001はキハ35 153、
キハ38 1002はキハ35 201,キハ38 1003はキハ35 516からの改造である。
画像番号IMG 0716.JPGの画像は、
キハ38−1002
製造時形式車番、キハ35-201
新製落成日、1966(昭和41)年4月19日、新製配置、千葉、製造、富士重工
転属日、1974(昭和49)年11月11日、転属配置先、高崎
改造後、キハ38-1002
改造施行日、1986(昭和61)年5月23日、改造工、幡生工場
転属日、1996(平成8)年7月5日、転属配置先、木更津
廃車日、2012(平成24)年12月20日、木更津
画像番号IMG 0738.JPGの画像は、
キハ38−1003
製造時形式車番、キハ35-516
新製落成日、1965(昭和40)年9月4日、新製配置、新潟、製造、富士重工
転属日、1985(昭和60)年7月2日、転属配置先、八王子
転属日、1986(昭和61)年3月3日、転属配置先、茅ヶ崎
転属日、1986(昭和61)年10月14日、転属配置先、高崎
改造後、キハ38-1003
改造施行日、1987(昭和62)年3月16日、改造工、鷹取工場
転属日、1996(平成8)年4月17日、転属配置先、木更津
廃車日、2012(平成24)年12月20日、木更津
2013(平成25)年7月10日、水島臨海鉄道へ譲渡
キハ38-1001〜1003
片運転台車
機関は新潟鐵工所製のDMF13HS
オールロングシートを備える。
トイレ無し、
定員138(座席58)名。
キハ11形(キハ48000形)
キハ11形は、便所付き両運転台車で、
1955年から1957年にかけて74両が製造された。
このうち48016 - 48026の11両は、寒地向けの耐寒耐雪装備で、
北海道に新製配置されており、1957年の改番の際は100番台(101 - 111)に区分された。
定員は88人(座席74人、立席14人)である。
外観上の特徴として、客用扉下部の明かり窓が無いことがあげられる。
これは、この後北海道用として造られたキハ12、
キハ21、キハ22、キハユニ25の各形式にも引き継がれており、
同様に明かり窓は無い。
キハ112。
旧番号はキハ48035→キハ11 25)については、
21世紀に入っても車籍を保って営業運転に充てられたのち、
キハ11 25として、
2007年(平成19年)10月14日に開館した鉄道博物館に収蔵・展示されている。
画像番号IMG 1672.JPGの画像は、
キハ11−25
新製落成日、1956(昭和31)年8月8日、新製配置、真岡、製造、東急車輌
製造時形式旧車番、キハ48035、
譲渡廃車 回送は2月28日〜実施
那珂湊 2月29日、那珂湊回着
譲渡廃車日、1980(昭和55)年4月17日、譲渡先、茨城交通
茨城交通認可、1980(昭和55)年8月16日、
キハ112へ改番竣工
2005年1月29日茨城交通より搬出、
2005(平成17)年1月30日、廃車
2005年1月31日郡山総合車両センター着、
JR郡山総合車両センターにて修復
2007年6月4日鉄道博物館へ搬入。