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FH116 

FH126 

FH127 

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DD51形ディーゼル機関車
日本国有鉄道(国鉄)が1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)にかけて、
製造したディーゼル機関車である。

500番台
製造時期:1966年 - 1977年
重連運転のための重連総括制御装置を搭載した区分で、
重連形と呼ばれる。
さらに、ブレーキの制御方式で以下のように区別される。
一部を除いて蒸気発生装置を搭載したが、2011年現在は使用していない。
非電化幹線・亜幹線の無煙化促進のため多数が増備されたが、
1970年代半ば以降は、同じディーゼル機関車で旧式化したDF50形や、
故障に悩まされ信頼性が低いDD54形を代替している。
この番台区分以降より、すべて外ハメ式の尾灯が用いられた。

全重連形 (593 - 799・1001 - 1193)
釣り合い引き通し管を装備し、
重連運転時に次位の補機まで単弁が作動するように改良された区分である。
一部の半重連形で釣り合い引き通し管を新設し、
全重連形に改造されたものも存在した。
1001以降は、500番台が799まで達したため貨物用800番台との
重複を避け1001へ飛び番となったグループである。
JRに継承されたものはこのグループが多い。
このグループからナンバープレートが切り文字式からブロック式に変更された。
1010以降は運転室内前後の天井に扇風機が設置されたため、
運転室屋根に突起が2か所ある。
また1052以降はラジエーターカバーが2分割タイプに変更された。
北海道地区に配置された500番台は半重連形と全重連形とを区別するため、
区名札の隣に「半」「重」の識別札を挿入していた。
2011年現在では北海道旅客鉄道(JR北海道)函館運輸所所属の重連形に、
「函」「重」の札が残るのみだが、国鉄時代は「築」「重」(小樽築港機関区)、
「五」「重」(五稜郭機関区)、「釧」「半」(釧路機関区、半重連形)、
「釧」「重」、「旭」「非」(旭川機関区、非重連形)などの組み合わせが存在した。
北海道内で使用された本区分のうち、
1972年に前照灯をボンネット前端上に増設し、
3灯化された車両が存在する。
冬季降雪時の視界確保のためで、五稜郭機関区などに配置された5両
(710・716・741・742・745) に施工された。
745は1986年に本州へ転属後も補助灯を存置し、
東日本旅客鉄道(JR東日本)長岡車両センターに配置され、
2002年まで磐越西線などで使用された。
また入換作業時の誘導掛への連絡用として、
スピーカーを装備した車両も北海道地区では多く見られた。

800番台 (801 - 899・1801 - 1805)
製造時期:1968年 - 1978年
貨物列車の運用を主体とするため、
SGを搭載せずに登場したグループである。
SG関連機器やボイラ・タンクなどを省略し、
運転室中央にあったSG機器室がなくなった。
運転整備重量は約6t軽くなり、
各軸の荷重負担割合が変化したことから中間台車の枕バネを変更し、
滑走防止のためブレーキシリンダを縮小したTR106Aとなった。
その他は基本的には同時期に製造された500番台の
完全重連タイプの仕様に準じており、
ナンバープレートやラジエーターカバーも時期を同じくして変更された。
また855以降は運転室内に扇風機が設置されたが、
500番台と異なり運転室屋根の中央に大きな突起が1か所あるのみである。
北海道地区へは一時的に投入されたのみで、A寒地仕様車は存在しない。
当初の計画では貨物列車用の新形式「DD52」を予定していたが、
新形式の投入に際しては労働組合との間で難しい折衝を行う必要があったために、
既存形式DD51形の仕様を変更する方針を採ったとされる。
JR東日本高崎車両センターに所属する842は、
非電化区間のお召し列車牽引機として用いられ、
台枠側面の飾り帯やデッキ手すり・煙突カバーにステンレスが用いられている。
なお、842はお召し列車運用の他、
同センター配置の他機とともに管内のイベント列車などに使用されている。
1801以降は、800番台が899まで達したため1801へ飛び番となったグループである。
成田線および総武本線での成田空港向けジェット燃料輸送のために製造されたが、
将来の客車列車牽引への転用も考慮してSG搭載の準備工事がされた。

JR東日本高崎車両センターに所属する842号機は、
非電化区間のお召し列車牽引機として用いられ、
台枠側面の飾り帯やデッキ手すり・煙突カバーにステンレスが用いられている。
なお、842はお召し列車運用の他、
同センター配置の他機とともに管内のイベント列車などに使用されている。

画像番号FH127.JPGの画像は、
DD51−745号機  (国鉄一般色) JR東日本
新製落成日、1971(昭和46)年5月31日、新製配置、旭川、製造、日立製作所
転属日、1971(昭和46)年9月11日、転属配置先、五稜郭
転属日、1986(昭和61)年10月24日、転属配置先、秋田
転属日、1987(昭和62)年11月、転属配置先、長岡
廃車日、2002(平成14)年7月1日、長岡

画像番号IMG 1125.JPGの画像は、
DD51−895号機  (国鉄一般色) JR東日本
新製落成日、1974(昭和49)年12月12日、新製配置、佐倉、製造、三菱重工
転属日、1984(昭和59)年11月21日、転属配置先、高崎

画像番号FH126.JPGの画像は、
DD51−842号機 御召本務機  (国鉄一般色) JR東日本
新製落成日、1971(昭和46)年2月10日、新製配置、佐倉、製造、日立製作所
転属日、1986(昭和61)年10月30日、転属配置先、高崎

画像番号IMGP0059の画像は、
DD51−1027号機  (国鉄一般色) JR貨物
新製落成日、1972(昭和47)年12月23日、新製配置、熊本、製造、三菱重工
転属日、1980(昭和55)年11月25日、転属配置先、東新潟
転属日、2010(平成22)年9月、転属配置先、吹田
転属日、2011(平成23)年9月、転属配置先、門司
廃車日、2014(平成26)年4月1日、門司


DD53形ディーゼル機関車
DD53形ディーゼル機関車は、幹線列車牽引と除雪で兼用することを目的として、
日本国有鉄道(国鉄)が製造したディーゼル機関車である。
ロータリー式除雪用ディーゼル機関車はDD13形を基本としたDD14形が製造されていたが、
新潟地区で実用試験中に起こった三八豪雪の際には対処不能になるなど、
本州の日本海側の湿った重い雪に対して使用するためには力不足だった。
そのため、DD51形を基本に、1,100psのDML61Z-Rディーゼル機関を2基搭載、
さらに必要に応じて補機(DD20形)を連結することで、
これまでの大規模除雪列車であるキマロキ列車の能力をディーゼル化した、
強力かつ高速に除雪を行うことができる
除雪用ディーゼル機関車として設計されたのがDD53形である。
走行装置などの機構は、ロータリーヘッドへの動力供給機能を求められたために、
専用品(DW2A-R)が新規設計された液体式変速機などを除けば、
DD51形とはほぼ同一であり、夏季はDD51形と共通運用で営業列車の牽引が可能である。
冬季は除雪を行うことを前提とされているため、
客車暖房の供給源である蒸気発生装置 (SG) は搭載していない。

画像番号IMG 0028.JPGの画像は、
DD53−2号機  (国鉄一般色) 
新製落成日、1965(昭和40)年12月17日、新製配置、長岡第二、製造、汽車製造
転属日、1987(昭和62)年4月1日、転属配置先、長岡
廃車日、2010(平成22)年3月10日、長岡


DD14形ディーゼル機関車
1960年に登場した、
日本国有鉄道(国鉄)の除雪用ディーゼル機関車(ロータリー式)である。
1960年から1979年にかけて43両が製造された。
基本型の0番台が8両製造された後、減速機のマガリバカサ歯車強度を増し、
一体圧延車輪を採用して台車を改良(DT113A→DT113G)した300番台が、
1966年から製造された。
従来、ラッセル車により線路脇に除けられた雪は、
キマロキ列車の運転により遠方に跳ね飛ばしていたが、
DD14形は、これを1両でまかなうことを目的として、
入換用に広く使用されていたDD13形ディーゼル機関車を、
基本として開発されたものである。

画像番号IMG 1688.JPGの画像は、
DD14−308号機  (国鉄一般色) JR東日本
新製落成日、1969(昭和44)年1月11日、新製配置、秋田、製造、汽車会社大阪工場 
転属日、1984(昭和59)年2月1日、転属配置先、新庄
転属日、2004(平成16)年3月13日、転属配置先、磐越東線営業所 
廃車日、2009(平成21)年6月18日、磐越東線営業所 


DE15形ディーゼル機関車
日本国有鉄道(国鉄)が開発・設計・製造した
中型液体式除雪用ディーゼル機関車(ラッセル式)。
ラッセル式除雪機関車としては、1961年にDD15形が登場していたが、
除雪装置を装着した際の軸重が15.5トンとなるために、
線路等級の低い丙線以下の線区には入線することが不可能であった。
したがって、これらの低規格線区では、
旧来からの雪かき車を機関車で推進して除雪する方式で行わざるを得なかった。
そこで除雪車両の高性能化と近代化をはかるため、
最初はDD20形をベースにし、
ラッセル除雪装置を機関車に固定したDD21形が1963年に製造されたが、
除雪装置を装着したままでのローカル線運用や入換作業に不便があったため、
1両のみの試作にとどまった。
そのためDD21形の欠点を是正し、
DE10形をベースに開発された低規格線区に入線可能な除雪用機関車が本形式であり、
1967年から1981年までの間に計58両が製造された。
除雪時には機関車本体の前後に2軸台車を使用したラッセルヘッドを連結する。
除雪期以外に停車場構内での入換作業や
本線の客貨列車牽引にも使用されることを考慮し、
ラッセルヘッドの連結解結作業は簡略化・省力化できるように設計された。

画像番号FH116.JPGの画像は、
DE15−2506号機  (国鉄一般色) JR東日本
新製落成日、1977(昭和52)年10月28日、新製配置、長町、製造、日本車輌 
転属日、1993(平成5)年12月1日、転属配置先、会津若松
廃車日、2009(平成21)年5月19日、郡山総合車両センター
2009(平成21)年5月19日、JR貨物仙台譲渡
ラッセルヘッド撤去
平成21年夏〜平成22年初頭 車籍復活、DE103510に改番、JR貨物仙台総合鉄道部配置

画像番号IMG 0383.JPGの画像は、
DE15−2517号機  (国鉄一般色) JR東日本
新製落成日、1979(昭和54)年6月9日、新製配置、新庄、製造、日本車輌
転属日、2004(平成16)年3月13日、転属配置先、磐越東線営業所
廃車日、2008(平成20)年6月22日、磐越東線営業所

画像番号IMG 2687.JPGの画像は、
DE15−2567号機  (国鉄一般色) JR東日本
製造時形式車番、DE15-1517号機
新製落成日、1976(昭和51)年1月13日、新製配置、長町、製造、日本車輌 
改造後、DE15-2567号機
1979(昭和54)年3月、改造工、郡山工場
転属日、2004(平成16)年3月13日、転属配置先、郡山
転属日、1993(平成5)年12月1日、転属配置先、会津若松
廃車日、2008(平成20)年8月22日、郡山総合車両センター
2009(平成21)年5月19日、JR貨物仙台譲渡
廃車日、2008(平成21)年5月29日、JR貨物仙台