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ED16形電気機関車
ED16形は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が、
1931年(昭和6年)から製造した直流用電気機関車である。
1930年代初頭の中央本線甲府電化、
上越線清水トンネル区間の電化開業に伴い製造された。
システムはEF52形を基本とし、同形の使用実績を踏まえて、
低速型の中型機として開発されたものである。
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ED16−10号機
新製落成日、1931(昭和6)年5月30日、新製配置、東京、製造、日立製作所
転属日、1931(昭和6)年9月、転属配置先、水上
転属日、1945(昭和20)年9月、転属配置先、甲府
転属日、1952(昭和27)年9月、 新鶴見鳳
廃車日、1983(昭和58)年7月16日、立川
東日本旅客鉄道大宮総合車両センターに保管されていたが、
2015年(平成27年)2月頃に解体された。
EF55形直流電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した直流用電気機関車である。
当時は日本国外の新鋭車両に影響され、
国・私鉄を問わず流線形(ストリームライナー)ブームの只中で、
蒸気機関車のC53形の1両(43号機)が試験的に流線形に改造されたのを皮切りに、
C55形の20 - 40号機が流線形で製造され、電車ではモハ52系、
気動車ではキハ43000形が次々と登場している時代であり、
本形式もそのような流れの中で製造されたものである。
流線美を追求するため、車体の組み立てからリベットやボルトを排し、
新技術の電気溶接を全面的に導入し、前位側連結器は格納式とされた。
当初はペンシルバニア鉄道GG1形を元に、
さらに流線の度合いを強めたようなデザインとして計画されていたが、
連結面に大きく空間ができてしまうため、現行のデザインとなった。
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EF55 1号機
新製落成日、1936(昭和11)年3月30日、新製配置、沼津、製造、日立製作所
転属日、1952(昭和27)年、高崎第二機関区
1964(昭和39)年に廃車
1986年(昭和61年)に大宮工場で動態復元、6月24日に車籍を復活
中央鉄道学園に静態保存
1986(昭和61)年大宮工場において動態復元
平成19年に再び静態保存
廃車日、2015(平成27)年4月12日。
EF58形直流電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)の旅客用直流電気機関車である。
当初、1946年から1948年にかけて初期型車が製造されたものの、
31両が完成したところで諸事情により一旦製造中止となった。
1952年以降、全くの別形式となるほどの大改良を経て量産を再開した。
以後、初期型車も車体載せ替えを含む仕様統一の改造を受け、
1958年まで増備された。
のべ製造両数は172両である。
戦前以来の設計を強化した旧式システムの機関車ながら、
1952年以降の改良型は高速運転時の性能に優れ、
特急列車の牽引にしばしば用いられた。
この改良型は、流線型を取り入れた秀逸で、
なおかつ独特のロバストネス(逞しさ)を感じさせる
車体フォルム(デザイン)も手伝って、
多くの鉄道ファンから「ゴハチ」の通称および愛称で親しまれている。
1950年代から1970年代にかけ、東海道・山陽本線や高崎・上越線、
そして東北本線黒磯以南といった主要幹線において、
旅客列車牽引の主力として用いられた。
末期には、1978年に電化された紀勢本線にも配備された。
1980年代までにほとんどが営業運転から撤退し、
動態保存機的な少数の残存機も2000年代半ばまでにほぼ運用を退いた。
2010年現在でも可動状態にあるのは1両に過ぎない。
お召し列車牽引指定機関車として知られる61号機は、
故障並びに後継となる特別電車・E655系の登場により保留機となった。
なお、同時期の1947年から1958年まで製造された貨物列車牽引用電気機関車EF15形は、
電気機器などの多くをEF58形と共通設計としており、
外見は著しく異なるが「兄弟形式」と評されている。
お召し列車牽引指定機(60・61号機)
改良型の新製機グループとしては初期にあたる1953年に製造された。
60号機が東芝、61号機が日立製作所の製造である。
1953年7月15日に60号機が浜松機関区へ、
61号機が東京機関区へ新製配属された。
それまでお召し列車牽引用の電気機関車としては、
戦前の1934年に製造されたEF53形後期形16・18号機と、
1937年に製造されたEF56形の6・7号機が用いられていたが、
車齢が高い上、EF53形には暖房用ボイラーがない事、
東海道本線電化延伸に伴う長距離運転では、
旧式なプレーン・ベアリングゆえ摩擦で車軸が過熱する恐れもあった。
このため、お召し列車運用を前提として最初から特別に製造された機関車が、
EF58形60・61号機である。これらの就役により、
EF53形は1954年にお召し列車の牽引から退いた。
天皇の乗用列車を牽引するという事情から、
以下のような特別な装備が施されている。
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EF58−61号機
新製落成日、1959(昭和28)年7月15日、新製配置、東京、製造、日立製作所
貸渡: 1971年10月23日 竜華
返却: 1971年10月27日 東京
転属日、1985(昭和60)年3月14日、転属配置先、新鶴見
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、田端
2008(平成20)年に引退し、
東京総合車輌センター内の御陵車庫に保存されている。
通常は非公開。
EF60形直流電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)が1960年に開発した平坦路線向け直流用電気機関車である。
1958年、国鉄初の新形直流電気機関車としてED60形・ED61形が登場したが、
この両形式で採用された1基390kWのMT49形直流直巻電動機を使用して、
F形(動輪6軸)機関車にすると出力は390kW×6=2,340kWとなり、
それまで東海道本線・山陽本線で高速貨物列車用として、
使用されていた出力2,530kWのEH10形に比べて、
さほど劣らぬ出力を持ちつつ小型軽量の機関車にすることが、
可能であることから開発されたのが本形式である。
EF60 19「やすらぎ」塗色
1962年8月3日付けで汽車製造・東洋電機で製造され、
新鶴見機関区に配置。
浜松機関区(現・浜松運輸区)を経て1981年7月に高崎第二機関区に転入。
1986年にジョイフルトレイン「お座敷客車・やすらぎ」の牽引指定機として、
客車に合わせた白地に青・赤の細帯の塗装に変更されたことから、
1987年の分割民営化時にはJR東日本に承継され、
高崎運転所(現・高崎車両センター高崎支所)所属となった。
1988年は「アメリカントレイン」の牽引指定機となり、
客車に合わせた星条旗風の塗装に変更されたが、
翌1989年の運転終了後は「やすらぎ」塗装に復元。
2001年の「やすらぎ」廃車後は、
2007年に実施された全般検査で、
デジタル無線搭載改造とともに国鉄直流機関車標準色に戻された。
2010年1月には第2エンド側の前照灯が、
ブタ鼻形のシールドビーム2灯からこの車両本来の
白熱バルブ式の大型1灯へ戻された。
また、2011年2月13日現在、1エンド側前灯も大型1灯へ戻されているのが確認されている。
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EF60−19号機 やすらぎ塗色
新製落成日、1962(昭和37)年8月3日、新製配置、新鶴見、製造、東洋電機+汽車会社
転属日、1965(昭和40)年5月14日、転属配置先、浜松
転属日、1981(昭和40)年7月28日、転属配置先、高崎
廃車日、2020(令和2)年7月3日、高崎
EF63形直流電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流電気機関車である。
信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車として特化した機関車である。
このことから「峠のシェルパ」、
もしくは形式称号から「ロクサン」の愛称がある。
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EF63−7号機
新製落成日、1963(昭和38)年4月25日、新製配置、高崎第二、製造、三菱電機
廃車日、1998(平成10)年3月20日、横川
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EF63−25号機
新製落成日、1976(昭和51)年7月12日、新製配置、横川、製造、川崎重工
廃車日、1998(平成10)年5月7日、横川
ED62形直流電気機関車
(国鉄)が1974年(昭和49年)から改造で製作した中型の直流電気機関車である。
全車がED61形電気機関車からの改造で製作された。
ED61形は新製以来中央本線で運用されていたが、
駆動装置や電力回生ブレーキの不具合など問題も多く、
1964年(昭和39年)に登場した大型機関車EF64形の増備が進むと、
出力が低いことなどで、やや持て余す存在となった。
この頃、飯田線北部では旧型の輸入電気機関車や前身の私鉄から、
引き継いだ電気機関車が貨物列車牽引に用いられていた。
大正末期から昭和初期に製造されたこれらの機関車は車齢が半世紀近くとなり、
老朽化が進んでいたことから代替機が求められた。
これにED61形を充てることが考えられたが、
ED61形は軸重が大きく、そのままでは低規格な飯田線には入線できないため、
軸重軽減を目的に従輪の増設改造等を行うことになった。
この結果登場することとなったのが、本形式である。
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ED62−17号機
製造時形式車番、ED61 18
新製落成日、1959(昭和34)年6月12日、新製配置、甲府、製造、川崎車輌
改造後、ED62 17
改造施行日、1978(昭和53)年10月12日、改造後配置、浜松、改造工、長野工場
転属日、1983(昭和58)年7月5日、転属配置先、浜松(伊那松島常駐)
転属日、1984(昭和59)年2月2日、転属配置先、松本運転所北松本支所
転属日、1985(昭和60)年3月14日、転属配置先、篠ノ井(伊那松島常駐)
JR化、1987(昭和62)年4月1日、JR貨物 篠ノ井(伊那松島常駐)
廃車日、2002(平成14)年3月29日、篠ノ井
EF64形直流電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)が1964年に開発した、
勾配線区用向け直流電気機関車である。
1960年に国鉄の大型電気機関車としては、
最初の近代化形であるEF60形が完成して以後、
本線の列車牽引用としては東海道・山陽本線向けの、
EF61形と信越本線用のEF62形・EF63形が開発されていた。
EF60形・EF61形は平坦路線牽引用、
またEF62形は信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の
国鉄最急勾配に対応した本務機、
EF63形は碓氷峠用補機という特殊設計となっており、
他の一般勾配路線では、
EF62形・EF63形が備える急勾配用の装置は必要としなかった。
しかし一方で、奥羽本線の板谷峠
(当時直流電化、後に交流化し当形式は撤退)越えや
中央本線など勾配区間に対応する新型機関車が必要な直流電化路線も多く、
これに対応するために開発され1964年に登場したのが本形式である。
1964年から1976年の間に基本番台(1 - 79)が79両、
1980年から1982年の間に大幅な設計変更を行った
1000番台(1001 - 1053)が53両の計132両が製造された。
基本番台
勾配線用で発電ブレーキを常用する設計であることから、
抵抗器の放熱を効率よく行うため、
車体側面のエアフィルタ部の開口面積を大きく設計してあるのが特徴である。
79両が製造された。
台車は、同じ軸配置B-B-BかつMT52系電動機搭載のEF70形用をベースとした、
DT120A(両端台車)およびDT121A(中間台車)を装着する。
制御器および補機の動作用電源として、
MH81B-DM44B二相交流式電動発電機を搭載する。
交流60Hz、5kVAの容量を備え、交流24V、交流50V、交流100Vのほか、
整流器を介して直流100Vを供給する。
加えて、EG搭載機にはMH107A-DM69A電動発電機を搭載する。
空気ブレーキなどで使用される圧縮空気を供給する電動空気圧縮機は、
シロッコファン式のMH92B-C3000を1基搭載する。
電動機などの冷却に使用する電動送風機は、MH91A-FK34Aを2基搭載する。
内訳は、第1 - 第4電動機用が1基、第5・6電動機・ブレーキ抵抗器用が1基である。
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EF64−38号機
新製落成日、1971(昭和46)年5月19日、新製配置、甲府、製造、汽車会社+東洋電機
転属日、1979(昭和54)年4月1日、転属配置先、長岡
転属日、1982(昭和57)年10月18日、転属配置先、甲府
転属日、1984(昭和59)年4月1日、転属配置先、八王子
転属日、1986(昭和61)年10月18日、転属配置先、高崎第二
転属日、2009(平成21)年3月14日、転属配置先、長岡
転属日、2010(平成22)年3月26日、転属配置先、高崎
廃車日、2015(平成27)年6月11日、高崎
1000番台
1000番台は1970年代末期に、
国鉄が最後に開発した直流電気機関車である。
上越線や高崎線で当時使われていた
EF58形・EF15形・EF16形の置き換え用に1980年より投入された。
性能は基本番台とほぼ同様であるが、
各部仕様は基礎から再検討がなされたため、
基本番台との差異は大きい。
計画にあっては形式の変更もあり得たが、
労働組合との間で新型機関車導入に関わる
難しい折衝を行う必要があるので、
在来機のマイナーチェンジ(新規番台区分)扱いとした。
1982年までに53両が製造され、
ラストナンバーの1053は国鉄が最後に製造した直流電気機関車である。
全車が長岡運転所(現・長岡車両センター)に新製配置された。
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EF64−1001号機
新製落成日、1978(昭和53)年7月3日、新製配置、長岡、製造、東洋電機+川崎重工
転属日、1982(昭和57)年8月22日、転属配置先、高崎
塗色変更(ぶどう2号と白帯を配した塗色)1987(昭和62)年3月
塗色変更(国鉄色)2017(平成29)年10月
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EF64−1015号機(更新色)
新製落成日、1980(昭和55)年9月10日、新製配置、長岡、製造、東洋電機+川崎重工
転属日、1982(昭和57)年、転属配置先、高崎
車体更新、3色更新色に塗り替え:2003(平成15)年1月29日、施行工、大宮工場
大宮更新色に塗り替え:2003(平成15)年1月29日、施行工、大宮工場
転属日、2010(平成22)年3月13日、転属配置先、JR貨物愛知
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EF64−1051号機
新製落成日、1982(昭和57)年10月7日、新製配置、長岡、製造、川崎重工
EF65形直流電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)が1965年に開発した、
平坦路線向け直流用電気機関車である。
500番台(P形)
高速旅客列車牽引用として、1965年 - 1966年に、
17両 (501 - 512・527 - 531) が製造され、
1968年に基本番台(77 - 84) から (535 - 542) が改造竣工された。
「P形」は、「旅客」を表す "passenger" の頭文字に由来する。
従来は20系寝台特急列車牽引用としてEF60形500番台を使用していたが、
同形式は定格速度の面で不利であるため、
本形式基本番台の設計を基にEF60形500番台と、
同様の20系客車牽引用装備を搭載した本番台が設計された。
塗色は直流機標準の青15号とクリーム1号ながら、
EF60形500番台と同様に特急色と呼ばれる
20系客車と意匠を合わせた塗り分けを採用した。
両端面の窓周りを含んだ上部とそれを結ぶように上下にクリーム色の細帯を配する。
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EF65−501号機
新製落成日、1965(昭和40)年6月26日、新製配置、東京、製造、川崎車輌
転属日、1973(昭和48)年10月3日、転属配置先、下関
転属日、1978(昭和53)年6月17日、転属配置先、沼津
転属日、1985(昭和60)年3月12日、転属配置先、高崎
画像番号FH162.JPGの画像は、
EF65−504号機(更新色)
新製落成日、1965(昭和40)年7月19日、新製配置、東京、製造、川崎車輌
転属日、1973(昭和48)年10月2日、転属配置先、下関
転属日、1973(昭和48)年12月6日、転属配置先、沼津
転属日、1986(昭和61)年2月23日、転属配置先、高崎
廃車日、2005(平成17)年3月30日、高崎
改造編入車両
1968年に寝台特急増発に伴う不足分を補うため、
当時竣工したばかりの0番台3次車の内、
昭和41年度第1次債務で製造された77 - 84号機が改造され、
535 - 542号機として500番台P形に編入された。
稲沢第二機関区に所属する7両が浜松工場で1968年6月から9月にかけて改造され、
改番後に東京機関区に配置された。
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EF65−539号機
製造時形式車番、EF65 81
新製落成日、1967(昭和42)年3月7日、新製配置、稲沢第二、製造、川崎車輌
改造後、EF65 539
改造施行日、1968(昭和43)年7月29日、改造後配置、東京、改造工、浜松工場
転属日、1978(昭和53)年8月16日、転属配置先、新鶴見
転属日、1987(昭和62)年、転属配置先、高崎
廃車日、2005(平成17)年3月30日、高崎
1000番台(PF形)
旅客列車・貨物列車に広汎に使用可能な汎用機として、
1969年(昭和44年)から1979年(昭和54年)にかけて8回に分け、
合計139両 (1001 - 1139) が製造された。
標準で重連総括制御機能を備える。
基本設計は重連機能を備えていた500番台(F形)に準じ、
同番台の東北・上越線運用で問題となった点を改良したモデルである。
このため、寒冷地での重連運用を、
考慮して前面にはEF64形と同様に貫通扉を備えており、
外観は他区分と異なる。
P形・F形の機能を併設するとされ、
PF形と呼ばれる。
塗色は500番台と同様の「特急色」であるが、
前面のステンレス製飾り帯は取り付けられていない。
制御器は全車CS29であるが、改良によってサフィックスが異なる。
製造期間が足かけ10年にわたり、
また途中で増備が途絶えた期間があったことなどから、
1972年までに製造された前期形 (1001 - 1055) と、
1976年以降に製造された後期形 (1056 - 1139) で外観上大きな差異がある。
1次車
昭和43年度第5次債務で1001 - 1017号機が製造された。
東海道・山陽本線の貨物増発を名目としているが、
実際にはF形の代替として東北本線・上越線に投入された。
そのため、全機が新鶴見機関区に配置された。
初期製造の車両は東北・上越線運用で問題となった
F形の代替用として製造されたため、
両線での運用を考慮した本格的な耐寒耐雪装備と、
両渡り配置の空気管・電気連結器を搭載する。
画像番号FH115.JPGの画像は、
EF65−1001号機
新製落成日、1969(昭和44)年10月15日、新製配置、新鶴見、製造、汽車製造+東洋電機
転属日、1971(昭和46)年10月1日、転属配置先、宇都宮
転属日、1980(昭和55)年10月18日、転属配置先、新鶴見
転属日、1982(昭和57)年11月30日、転属配置先、宇都宮
転属日、1984(昭和59)年2月13日、転属配置先、宮原
転属日、1984(昭和59)年2月13日、転属配置先、吹田
転属日、1986(昭和61)年11月1日、転属配置先、新鶴見
東京都品川区JR貨物中央研修センター(非公開)
2次車
昭和44年度民有車両として1018号機が、
昭和44年度第2次債務で1019 - 1022号機が製造された。
1018号機は新空港建設資材輸送用、
1019 - 1022号機は万博輸送用・呉線電化用である。
1018号機は新鶴見機関区に、1019 - 1022号機は広島機関区に配置され、
万博輸送後は貨物列車用として使用された。
カニ22形のパンタグラフスイッチが撤去され、
一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置、記録式速度計 (SRD40) の追加がなされた。
また、製造時から運転台前面窓と前照灯のつらら切りを備えている。
画像番号FH156.JPGの画像は、
EF65−1028号機
新製落成日、1970(昭和45)年6月4日、新製配置、新鶴見、製造、川崎重工+富士電機
転属日、1972(昭和47)年10月1日、転属配置先、宇都宮
転属日、1984(昭和59)年2月1日、転属配置先、田端
廃車日、2000(平成17)年9月8日、田端
3次車
昭和44年度第3次債務で1023 - 1031号機が、
昭和44年度第4次債務で1032 - 1039号機が製造された。
呉線電化・高島線電化・特急客車列車増発・東北本線・高崎線貨物列車増発
身延線機関車形式改善用である。
1023 - 1025号機が下関運転所、1026 - 1028号機が新鶴見機関区、
1029 - 1031号機が宇都宮運転所に配置された。
貫通扉下側のステップの長さが手すりの内側まで短縮された以外に、
2次車との大きな違いは見られない。
画像番号FH164.JPGの画像は、
EF65 1036号機(更新色)
新製落成日、1970(昭和45)年8月26日、新製配置、宇都宮、製造、川崎重工+富士電機
転属日、1984(昭和59)年2月1日、転属配置先、田端
転属日、1986(昭和61)年10月31日、転属配置先、新鶴見機関区
転属日、1994(平成6)年3月25日、JR貨物高崎
1996年(平成8)年:車体更新、大宮3色更新色(白プレート)塗装に塗り替え
2008(平成20)年9月:大宮2色更新色(白プレート)塗装に塗り替え
転属日、2009(平成6)年7月3日、JR貨物岡山
転属日、2011(平成23)年3月11日、JR貨物新鶴見
改番、2012(平成24)年5月、EF65 2036
廃車日、2016(平成28)年4月26日、JR貨物新鶴見
6次車
約4年ぶりにEF65の増備が再開された。
昭和50年度第3次債務で1056 - 1068号機が、
昭和51年度第1次債務で1069 - 1091号機が製造された。
首都圏の旧形電気機関車置き換えを目的とし、
全機が新鶴見機関区に配置された。
5次車製造から時間が空いたことから、多くの変更点がある。
各機器・配線に対して難燃化・不燃化対策の実施、
避雷器をLA15BからLA15Dに変更、
集電装置をPS17(菱形)からPS22B(下枠交差式)に変更、
ナンバープレートをステンレスエッチング加工を、
施したブロック式のものを採用
画像番号IMG 1024.JPGの画像は、
EF65−1060号機(更新色)
新製落成日、1977(昭和52)年2月16日、新製配置、新鶴見、製造、川崎重工+東洋電気
2012年5月頃に2000番代化
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EF65−1081号機 赤プレート
新製落成日、1977(昭和52)年6月2日、新製配置、新鶴見、製造、川崎重工+富士電機
2012年度(平成24年度)5月頃に2000番台に改番
一時期、更新色となっていたが2019年(平成31年)に国鉄特急色に戻っている。
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EF65−1082号機 赤プレート
新製落成日、1977(昭和52)年6月6日、新製配置、新鶴見、製造、川崎重工+富士電機
廃車日、2014(平成26)年2月26日、新鶴見
画像番号IMG 0686.JPGの画像は、
EF65−1083号機 赤プレート
新製落成日、1977(昭和52)年6月23日、新製配置、新鶴見、製造、川崎重工+富士電機
改番、2012(平成24)年5月、EF65 2083
7次車
昭和52年度第1次債務で1092 - 1118号機が製造された。
紀勢本線電化開業および旧形電気機関車置き換えを名目としているが、
実際は500番台(P形)置き換えのためである。
1092 - 1095号機の4両が下関運転所、
1096 - 1116号機の21両が寝台特急牽引用として東京機関区に、
1117・1118号機の2両が新鶴見機関区の配置された。
重連や寒冷地での運用がないため、
配置直後に保守合理化のためスノープラウやホース類が外された。
寒冷地仕様の汽笛カバーも省略され、
砂撒き管のヒーターの配線カットを行っているが、
砂撒き管ヒーターの本体とつらら切りは引き続き装着されている。
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EF65−1101号機
新製落成日、1978(昭和53)年7月26日、新製配置、東京、製造、川崎重工+東洋電機
改番、2012(平成24)年、EF65-2101
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EF65−1104号機
新製落成日、1978(昭和53)年9月13日、新製配置、東京、製造、川崎重工+東洋電機
転属日、1985(昭和60)年3月14日、新鶴見
転属日、1986(昭和61)年11月1日、田端
廃車日、2021(令和3)年8月19日、田端
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EF65−1107号機
新製落成日、1977(昭和53)年5月25日、新製配置、東京、製造、川崎重工+東洋電機
転属日、1986(昭和61)年11月1日、田端
廃車日、2015(平成27)年11月6日、田端
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EF65−1118号機(レインボー色)
新製落成日、1978(昭和53)年9月27日、新製配置、新鶴見、製造、川崎重工+富士電機
転属日、1983(昭和60)年3月21日、東京
転属日、1986(昭和61)年11月1日、田端
廃車日、2015(平成27)年11月27日、田端
2000番台 保安装置区別改番車
国土交通省の鉄道に関する技術上の基準を定める省令によって、
100km/hを超える運転を行う車両には、
新たな保安装置(運転状況記録装置)の搭載が義務付けられた。
この有無による、JR旅客会社とJR貨物が所有する
本形式の最高速度の相違を区別するために、
2012年5月からJR貨物所有の本形式に対して、
車両番号が元番号に1000を加算する措置が取られている。
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EF65−2057号機(更新色)
製造時形式車番、EF65-1057
新製落成日、1976(昭和51)年12月22日、新製配置、新鶴見、製造、川崎重工+東洋電気
改番、EF65-2057 2012(平成24)年6月
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EF65−2121号機
製造時形式車番、EF65-1121
新製落成日、1980(昭和54)年4月25日、新製配置、下関、製造、川崎重工+東洋電機
改番後、EF65-2121 2012(平成24)年7月
JR西日本から売却、2005(平成61)年11月30日、JR貨物新鶴見
転属日、2007(平成19)年10月12日、JR貨物高崎
転属日、2009(平成21)年5月26日、JR貨物岡山
転属日、2011(平成23)年3月26日、JR貨物新鶴見
廃車日、2016(平成28)年3月、JR貨物新鶴見
EF66形電気機関車
日本国有鉄道(国鉄)が1968年(昭和43年)から1974年(昭和49年)まで、
日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年(平成元年)から、
1991年(平成3年)まで製作した直流電気機関車である。
東海道・山陽本線系統の高速貨物列車専用機として開発された形式である。
名神・東名高速道路の整備により輸送シェアを拡大しつつあった
トラック輸送に対抗するため、
国鉄では特に所要時間の短縮が急務とされた生鮮品輸送を中心に、
貨物列車の高速化を計画した。
最高速度 100 km/h での走行可能なコキ10000系コンテナ車、
レサ10000系冷蔵車と並行して、専用の新型機関車の開発が開始された。
当初は動軸数8軸の「H級」とする構想もあったが、
大出力電動機の実用化に見込みがついたことから、
動軸数6軸の「F級」として開発が進められ、
1966年(昭和41年)9月に試作機が川崎車輛(現・川崎重工業)で完成した。
これがEF90形である。
定格出力 3,900kW は狭軌鉄道では当時世界最大のものであった。
同年11月より、先に運用を開始していた
レサ10000系の特急貨物列車「とびうお」「ぎんりん」の牽引で運用を開始し、
運用結果を基に1968年(昭和43年)から量産機の製作が開始された。
これがEF66形である。
本形式の量産開始に伴い、
これまで暫定的にEF65形(500番台F形)の重連牽引としてきた
「とびうお」などの高速貨物列車は本形式1両での牽引に切り替えられ、
以後、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車を主として使用されてきた。
1985年(昭和60年)3月からは、
寝台特急(ブルートレイン)「はやぶさ」「富士」など、
旅客列車の牽引にも使用されるようになった。
1987年の国鉄分割民営化では西日本旅客鉄道(JR西日本)とJR貨物に承継された。
1989年(平成元年)には、
JR貨物によって一部設計変更の上で新規製作が行われた。
これはコンテナ貨物輸送の好調を受け、列車増発に対応するもので、
当時並行して開発に着手した新型機関車の投入までに、
輸送状況の逼迫を賄う時間的猶予がなかったための過渡的な措置である。
以降、コンテナ車を主とする貨物列車に重用されている。
JR西日本所属車は引き続き東海道・山陽本線区間の寝台特急に運用され、
2009年3月に同区間の客車寝台特急全廃を以って定期運用を終了している。
第12回(1969年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
基本番台
1968年(昭和43年)から1974年(昭和49年)にかけ55両が製作された。
細部仕様の差異により1次車と2次車に区分される。
1次車
1968年(昭和43年)から 1969年(昭和44年)までに20両(1 - 20号機)が製作された。
試作車である901号機をベースに以下に示す改良がなされている。
抵抗バーニア制御器をCS27からCS27Aに変更
界磁制御器をCS28からCS28Aに変更
台車をDT133からDT133Aに、DT134からDT134Aに変更
前方視界の改善のため、正面窓の桟を外側に移動
また、16号機以降は車体肩部分の主抵抗器排熱口が2分割から4分割に、
18号機以降は抵抗バーニア制御器がCS27AからCS27Bに、
界磁制御器がCS28AからCS28Bに変更された。
画像番号FH154.JPGの画像は、
EF66−11号機
新製落成日、1968(昭和43)年8月12日、新製配置、下関、製造、川崎重工+富士電機
転属日、1979(昭和54)年7月2日、広島
転属日、1984(昭和59)年2月12日、吹田
廃車日、2007(平成19)年8月6日、吹田
2007(平成19)年10月14日、保存 鉄道博物館
2次車
1973年(昭和48年)から 1974年(昭和49年)まで35両
(21 - 55号機)が川崎重工業で製作された。
1次車と比較して多くの変更点がある。
外観での大きな相違は、前面窓直上に庇がついた点である。
これは、集電装置スリ板で発生する金属粉や
グリスによる汚れを防ぐためである。
さらに、車体側面の点検蓋が車体中央のナンバープレート横に移設、
前面誘導員用手すりの変更が行われた。
前面ナンバープレート下の飾り帯にあった通風孔は廃止された。
内部機器の面では、抵抗バーニア制御器がCS27Cに、
界磁制御器がCS28Cに変更された。
電動発電機は三相誘導電動機の採用と容量増強(5kVA → 90kVA)が行われた
MH127A-DM84A形に変更された。
これに付随して、電動空気圧縮機はMH3064A-C3000形2基に、
電動送風機はMH3036B-FK99A形2基に変更された。
主電動機にはコンバインドシャント抵抗器が追加された。
高速回転時の整流改善を目的とする対策で、
後年に充当された寝台特急運用では最高速度 110 km/h での営業運転を行うため、
本件対策がなされた2次車を中心に充当している。
台車の空気ばねをベローズ式からダイヤフラム式に変更したために、
両端台車の形式がDT133Bに変更された。
自動空気ブレーキ装置には単機増圧装置に加え、
20系客車に搭載された編成増圧装置を作用させるための指令線を追設した。
これは列車全体のブレーキシリンダ圧力を増加させる機構で、
高速域からの非常制動時に制輪子と、
車輪の摩擦熱によって減衰する制動力を補うための装備である。
また、34号機以降は避雷器がLA15BからLA15Dに変更された。
2次車では振替台検が行われていた。
振替台検とは1両分(両端台車2基と中間台車1基)を余分に用意して整備しておき、
台検施行車の台車と取り換えることで入場期間を短縮し、
取り換えられた台車を整備して次の入場に備えることを繰り返すものである。
これによって本来1週間前後かかる施行期間が2日ですみ、
稼働率を向上させられた。
取り換えられた台車は整備して次の入場に備える。
国鉄民営化に際して2社に所属が分かれるため、1987年3月いっぱいで廃止された。
画像番号IMG 1050.JPGの画像は、
EF66−27号機
新製落成日、1973(昭和48)年8月15日、新製配置、下関、製造、川崎重工+富士電機
更新工事、2006(平成18)年9月29日、広島
転属日、1984(昭和59)年2月4日、吹田
画像番号FH344.JPGの画像は、
EF66−30号機
新製落成日、1973(昭和48)年9月20日、新製配置、下関、製造、川崎重工+富士電機
転属日、1986(昭和61)年11月1日、吹田
更新色化(旧)
2003(平成15)年11月14日、
更新工事、2006(平成18)年9月29日、広島
新更新色化
2010(平成22)年05月26日、
廃車日、2018(平成30)年4月18日、吹田
100番台
JR移行後の貨物列車増発に対応するため製作された区分で、
1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にかけて、
川崎重工業で33両[* 7]が製作された。
性能や基本的な構造は0番台の最終増備車を踏襲したが、各部の仕様を変更している。
外観は大きく変更され、前面は正面窓を大型化し、
上面が大きく傾斜した3面構成の意匠に変更され、
灯火類は正面中位に前照灯・標識灯を横方向に配置する。
正面窓にはウィンドウォッシャーが装備され、
乗務員室には冷房装置が搭載された。
外部塗色は車体上部が濃淡ブルーの組み合わせ、
下部がライトパープル、乗務員室扉はカラシ色(黄土色)のJR貨物標準色である。
電動機・制御機器は新たな規制への対応や機器類の有害物質排除など細部に変更が見られる。
電動機では、整流改善対策として基本番台2次形(21号機以降)から、
コンバインドシャント抵抗器が用いられていたが、
誘導コイルの見直しなどにより整流改善がなされたため、撤去されている。
機器類では従来用いられていた補助リレーの製造中止により代替品に変更、
セレン整流器がダイオード化、アスベストの排除が行われるなど、
時代に合わせた設計変更がされている。
台車は、空気ばねの形状を550φ1山ダイヤフラム式に変更したFD133C・FD134Bを使用する。
制動面では基本番台に改造で取り付けられた
コキ50000形250000番台コンテナ車による
100km/h運転対応の減圧促進装置が当初から設けられている。
また電磁ブレーキ指令装置は、編成増圧機能が省略され、
単機増圧方式となり、従来の空気差圧感知式の電空帰還器から、
ED79形電気機関車(50番台)同様のカム接点付きのブレーキ弁に変更されている。
空気圧縮機は空気管などのドレンによる腐食を防止するため、除湿装置が追加されている。
連結器は、10000系貨車を牽引する機会がほとんどないことから、
基本番台の密着式自動連結器から一般的な並形自動連結器に変更され、
スカートの1位と4位にはMRPが設置されている。
仕様の差異により1次車と2次車に区分される。
画像番号DSC 6012.JPGの画像は、
EF66−125号機
新製落成日、1990(平成2)年10月19日、新製配置、吹田、製造、川崎重工・富士電機
画像番号DSC 2176.JPGの画像は、
EF66−121号機
新製落成日、1990(平成2)年10月19日、新製配置、広島、製造、川崎重工・富士電機
転属日、1996(平成8)年3月16日、転属配置先、吹田